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第二章 牛頭崇拝と角 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第二章 牛頭崇拝と角


   牡牛を表すシュメル語で多用されているのは、
 「グ gu、 グドゥ gudu 、グドゥル gudr 」で、
 この語はサンスクリット語にも入り、
 gu あるいは go として使われている。
 
 「ウケ」あるいは「オックス」は
 インド・ヨーロッパ語圏の用語で
 シュメル語にはみえない。
 
 シュメル語で角を意味する用語は
 「シ si 」であることは
 エリドゥの遺物を分析した際、紹介した。
 
 この単語は「目」をも意味する。
 
 また、
 「ア a 」という腕、力を表す単語が
 「ア・アム a-am 」と熟語になって
 角の意になる。
 
 「アム am 」は野牛の意味で、
  a-am は「野牛の角」となる。
 
 この語も慣用句化されているようである。
 
 ギリシャ語の角を表す言葉は 
 kepatos あるいは kepos 、
 ラテン語では cornu 、
 ドイツ語で horn 、
 英語で horn あるいは geweih である。
 
 このうち cornu 系統は
 エーゲ海のクレタ島のミノス文化より
 始まった比較的新しい、
 といっても
 紀元前1450年から1375年頃とされる
 線文字Bに表われる用語である。
 
 それに対し
 「ケラトス keratos 」はかなり古くから
 北メソポタミアで生まれた用語であると
 判断できる。
 
 その理由を説明するのは
 帰納法的展開を要するのでややこしくなる。
 
 ハラフ期からのこの地方における角の呼称は、
 現代の表現でも実在する 
 khard あるいは chald であったと考える。
 
 このカルトないしケルトの崇拝者たちは
 自称をカルトリ khardli ないし
 カルダエ chalda と称して、
 現在においても北イラクに居住しているほか、
 トルコでは東部アナトリア地方などに
 二千万人にのぼる人々がいる。
 
 この人々の文化が
 紀元前五千年期から三千年期にかけて
 盛大であったことを
 これまであまり評価されてこなかった面があり
 再評価すべきと考えている。
 
 また、
 歴史時代への過渡期に当たって彼等の文化は
 南・中央ヨーロッパの全域に
 影響を与えたと考えられる。
 
 ハルシュタット文化を興したのを初め、
 広域に分布した
 ケルト Celt・Kelt 文化は
 その影響の波及したものであろう。
 
 ここでは多くは述べられないので
 後述することとしたい。
 
 ハラフ式土器の広がりは、
 ハッスーナ期やサマッラ期に比べて
 格段に拡大している。
 
 専門家が推測しているとおり、
 その新しいファッションの土器類を
 使用したのは一種族だけではないであろう。
 
 ハフリ地名のある地域も広大である。
 そのような環境のなか、
 北メソポタミアに
 カルト(牛角)信仰の連帯感が広がり、
 カルト人としての集団意識が
 芽生えたのではないだろうか。
 
 そして、
  人々はハフリたちによって
 統率行動を取っていたと考えられる。
 
 また、
 このカルト信仰を行なっている土地を
 ハブールと称したといってよいだろう。
 
 シュメル語に「イ I 」という語がある。
 
 「高める・上げる」を意味する。
 
 ドイツ語の同意語は heben で、
 「持ち上げる、起こす、引き上げる、掲げる」
 と内容が広がる。
 
 この heben に対応する
 英語が heave である。
 
 独英の単語が
 古代の北メソポタミアと
 どのような経緯で関係あるのか
 具体的に証することはできないが、
 「牛頭を掲げる」の「掲げる」の表現に
 係わりがあると思われる。
 
 つまり、
 現在に継承されている 
 iberi 、 eberi の同義語と考えるからである。
 
 「牛頭を掲げる者」は固有名詞となり、
 牛頭の「信奉者」ないし「崇拝者」をも
 内包して使用されるようになったと
 思えるのである。
 
 Khald-iberi 、 Celtiber は
 ギリシャ語やラテン語にもみえる
 ギリシャ・ローマ時代の呼称である。
 
 シュメル語の中に
 「 i-ab-ri 供儀の牛を献げる」
 という表現があり、
 
 その文法上の慣習から母音短縮が起こり
 ibri ないし ebri の
 用語が生まれた可能性もある。
 
 ともあれ古代において
 カルトイベリが存在したことは
 史料の上でも確かな事実である。
 
 牛角信仰を持った人々の名称が
 カルト人ばかりでなく、
 「牛角を掲げる人々」としての
 カルトイベリ人でもあったことを
 確認しておきたいのである。

M.K記

 

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