SSブログ

第二章 供儀の起源 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]


『バグダッド下水音頭』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049176.html
『創世紀』の目次へ戻る https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-05-09
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4

[サッカー](かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪[サッカー]

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第二章 供儀の起源
 
 ドゥルガー女神の乗物は虎である。
 
 虎はサンスクリット語で bagh という。
 
 インドの西部ヴィンダヤ山脈の西方に
 Bagh と名付けられた町がある。
 
 古い石窟で知られた町である。
 
 虎を神格化した所がインドにはかなりある。
 
 しかし、
 ドゥルガー女神との関係は
 特に認められない。
 
 そして、
 イラクの首都バグダッド 
 Baghdad 市を想起せざるを得ない。
 
 「虎の都」の意である。
 
 しかも、
 そこを流れる河がチグリス Tigris 川で、
 これはギリシャ語化された呼称、
 英語でいうところの Tiger 、
 つまり虎の名が付いているのである。
 
 どうしても興味を
 古代メソポタミアへ移さざるを得ない。
 
 メソポタミアとは、
 「二つの川の中央」を意味する
 ギリシャ語を地方名としたものである。
 
 古代メソポタミア文明は
 現在のイラクと
 シリア、トルコ、イランの地籍の一部を
 含んで発展拡大した文明である。
 
 イラク国では
 ペルシャ湾に近い地方をシュメル、
 その北をアッカド、
 その北方のバグダッドを
 中心とする地帯をバビロニア、
 そのまた
 北方シリア・トルコ・イランの
 国境に挟まれたモスールを
 中心とする地帯をアッシリアと呼んでいる。
 
 歴史的時代区分の呼称も
 この地方名の南からの序列で
 呼ばれてきたのである。
 
 シュメル前代は紀元前三千年代、
 アッカド時代は紀元前二三五〇年から
 バビロン王朝の時代は
 紀元前一八三〇年からとされている。
 
 一方北方では
 スバル人がシュメル前代より
 勢力を持っていたと考えられるが、
 紀元前二千年ころから
 アッカドの勢力と
 スバル人の一部が混合して
 
 古アッシリア、
 中期アッシリア、
 新アッシリアと
 
 三回にわたり
 メソポタミア中原に覇をとなえた。
 
 この間栄枯盛衰は
 激しいものがあったが、
 紀元前五三九年に
 新バビロニアが
 イランのスーサから興った
 ペルシャ帝国によって滅亡させられて、
 
 メソポタミアの古代文明の時代は
 終わりとなった。
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

nice!の受付は締め切りました

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。