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第一章 左儀杖・左義長・三九郎・どんど焼 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第一章 左儀杖・左義長・三九郎・どんど焼
 インドにおいては、
 一年のうちで
 全土的に重要な伝統的祭礼がもう一度ある。
 
 一月中旬の
 マカラ・サンクランティ 
 Makara samkranti である。
 
 太陽が黄道上の南から北へ入る日を
 吉祥の日として祝うのである。
 
 太陽暦の一月十五日、
 日本ではいう旧正月がその日に当たる。
 
 ヒンドウーの暦で
 太陽が星座にいうマカラ宮に
 移転 samkranbi する。
 
 つまりマカラ月が始まることから、
 この吉日は
 マカラ・サンクランティと呼ばれる。
 
 この日聖地においては沐浴すると
 罪、穢れが消えるという。
 
 さて、
 日本で一月十五日に古来行われてきた行事に、
 宮廷における左儀杖、
 また地方により呼称が異なるが、
 三九郎・どんど焼ある。
 
 左儀杖は三毬杖とも書かれ、
 禁中清涼殿の東庭で
 青竹を束ね立て毬打三個をゆわえつけ、
 吉書を添えて扇子、短冊ともどもに
 謡いはやしつつ
 火をつけ燃え上がらせたという行事で、
 市中の巷間で一般的に長い竹数本を立て
 正月の門松、注連(しめ)縄、
 書初めなどを地域ごとに寄せ集めて焚く。
 
 その火で餅を焼く風習があり、
 これを食べれば病気や災難などを
 除けられるという。
 
 三九郎・どんど焼は
 長野県で使われる名称である。
 
 この左儀杖と三九郎は
 実はサンスクリットに祖語を持ち、
 しかも同一語から転訛したものである。
 
 ここまで述べてきた
 インドの祭礼でいうところの
 サンクランティ 
 Samkranti/Sankranti がそれである。
 
 この用語はタイの三月中頃、
 ちょうどインドのホーリー祭の頃
 行われる水かけ祭 
 ソンクラン 
 Songkhla/Sankrandhi ともなっている。
 
 タイでは
 一週間国中どこへ行っても
 同様に色粉や水をかけ合う。
 
 最近は水ポンプで豪快にかけてくる。
 
 自動車のフロントガラスも
 赤粉で前が見えなくなる。
 
 それは、ともかく、
 左儀杖は、
 中世に左儀打とも書かれたが 
 (S)an(k)ran(t)I
 の三音を取ったもの、
 三九郎は、
 (S)(a)(n)(k)ranti の四音を
 取ったものである。
 
 どんど焼は左儀杖のサンスクリット語 
 danda の転訛したもので、
 杖のほか棒、竿、木を意味することは
 すでに述べたところである。
 
 この行事は
 ホーリー祭の主旨に同ずるもので、
 返ってホーリー祭の原点を
 補足説明をもしているのである。
 
 南インドでは、マカラ・サンクランティの日
 ポンガル Pongal という収穫祭が行われる。
 
 その主旨内容はホーリー祭に似ている。
 
 インド亜大陸の南端
 タミル・ナードゥ州がその中心であるが、
 スリランカのタミル人の間でも行われる。
 
 先に紹介したジャフナ市はその北端の都市で
 タミル・ナードゥ州と海峡を隔てて
 向かい合っている。
 
 牛小屋を焼いたのも
 実は一月十四日ポンガルの日のことであった。
 
 タミルと日本語との関係はもちろん、
 ポンガルと日本の民間風習
 との関連についても
 『日本語以前』に詳しいが、
 これら伝統的慣習の日本との対比は
 タミルに限られない。
 
 地域限定をはずしても貴重な報告である。
 
 信濃の三九郎について
 昭和三十二年(1957年)頃
 採集した記録の中から
 若干取り上げておきたい。
 
 三九郎を組み上げるための
 竹あるいは松の木は
 三・五・七の奇数本でなければいけない。
 
 この木は先にある枝葉だけは残して
 林から切り出される。
 
 正月の七日各民家で外された角松や注連縄を
 子供達が集めて小屋風の組立建てる。
 
 七日から十五日までの七日間、
 この小屋の中は
 子供達の寒さ除けの遊び場となる。
 
 どんど焼きの当日は、昼中の十二時、
 人々が各戸で正月の七日の日に
 米粉を練って丸め柳の枝にさし、
 家内の神棚などに掲げられていた
 繭玉という餅を持って集まって来る。
 
 火の点けられた三九郎は
 角松の油脂で炎がよく上がる。
 
 火炎が落着くと
 人々は繭玉を焼いて食べるのが楽しみである。
 
 信濃のポンガルについて、
 『日本語以前』は
 江戸時代の学者・菅江真澄が
 天明四年(1784年)に
 信州を旅した日記
 『すわのうみ』に
 ひろった鳥追いの歌詞を紹介している。
 
   今日は誰の鳥追、
   太郎殿の鳥追か、
   太郎殿の鳥追か、
   己(おら)もちと追ってやろ、
   ホンガラ、ホ
 
 昭和三十二年に長野県塩尻市で
 採集された歌詞を上げておく。
 
   今日は誰の鳥追いじゃ、
   太郎次郎の鳥追いじゃ、
   おれもちっと追ってやれ、
   ホンガラ、ホーイのホーイ
 
 子供達は歌いながら集落内の道路を
 東西南北歩き回るのである。
 
 集落境で隣り集落の子供達と
 ぶつかり合うと大変だ。
 
 追いやって来た災いの鳥たちが
 また舞い戻ってしまう。
 
 そこでゆずり合うわけにいかないので
 喧嘩となるのは止むをえない。
 
 しばらく騒いでさっと別れる。
 
 そうすると驚いた鳥たちは
 どこかへ行ってしまう。
 
 思金(兼)神の解説で
 信濃への
 サンスクリット語文化の流入を紹介したが、
 三九郎・どんど焼の原語も
 同様であったのである。
M.K記

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