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第一章 ドゥルガー・プージャー [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
《第一章 ドゥルガー・プージャー》
 豊穣の女神として、
 現在でもインドの人々に
 日常的にいかに崇拝されているかは、
 彼女の図像が
 民家の台所やレストランの厨房に
 掲げられていることで明らかである。
 
 ドゥルガー女神信仰は
 東インドのベンガル地方と
 南インド地方に盛んといわれる。
 
 女神を祀った寺院は、
 ヒンドゥー教徒が
 沐浴の聖地として訪れることで
 有名なガンジス河岸、
 ウッタル・プラデーシュ州の
 通称ベナレス、ワーラーナシー市にある。
 
 猿が多くいることで有名な
 モンキーテンプル・ドゥルガー寺院や
 インド亜大陸中央部に広がるデカン高原の
 カルナータカ州北部
 バーダミ市郊外のアイホーレにある
 ドゥルガー寺院が名高く、
 多くの信者を集めている。
 
 しかし、
 注目すべきはドゥルガー・プージャーである。
 
 毎年九月秋分の日をはさんだ
 数日間行われる祭礼のことである。
 
 プージャー pujā とは礼拝供養を意味する。
 
 その祭神が女神であることにより
 女性の活躍する祭りとして
 各地において盛大に行われる。
 
 地方ごとに
 その祭事の様相に異なりをみせている。
 
 ベンガルのある地方では
 街角や路地に紅白の幔幕を張り廻らし、
 中に祭壇をしつらえ、
 ラクシュミー、サラスヴァティーの
 女神像と共に、
 ドゥルガー女神の図像が中央に掲げられる。
 
 祭礼の日には、
 香が焚かれて煙がたなびくなか、
 太鼓が鳴り、人々は盛装して参拝に訪れる。
 
 プージャーは礼拝であるので、
 供儀つまり動物を殺して
 献げるようなことはしない。
 
 しかし、
 供養として果物や穀類は献げられる。
 
 祭礼の主旨は、
 ドゥルガー女神が雄牛の姿をした
 悪魔マヒシャを退治してくれたことに感謝し、
 女神を讃えて礼拝するというものである。
 
 カルカッタ市のある地域では、
 地域の名家や共同体が寄付金を集めて、
 等身大あるいはそれ以上に大きい
 豪華な女神像を作り上げる。
 
 もちろん十の腕を備え、
 目を剥いた怒りの形相である。
 
 祭りの日多くの女性が集まる。
 
 祭司による礼拝儀式の後、
 女性たちは天界に帰るという
 女神の旅路のために食物を供える。
 
 食物を献げることが
 供養プージャーなのである。
 
 女神の祝福を受けた既婚の女性たちだけが
 相互の額に赤い粉をつけ合って
 平穏な生活が続くことを願うという。
 
 祭礼の日の夕暮れ、
 祭りの最後には
 男たちが女神像を担ぎ出して、
 ガンジス川の支流フグリ河畔に向け練り歩く。
 
 川岸に着いてから船に像を乗せ、
 河の中程まで運び流れに乗せる。
 
 女神はガンジス河に入り、
 巡り廻って天界に帰っていくというのである。
 
 ドゥルガー女神が
 豊穣の女神であることを
 うかがわせる報告が
 小西正捷の
 『インド民衆の文化誌』にみえる。
 
 バナナの若芽が女神の姿にされて
 祭壇に供えられること、
 ビルヴァ(ベール)の木や大麦が
 密接に関わっているとの報告である。
 
 特に
 
 「プージャーの第一日目に
  大麦の種が播かれ、
  十日目に引き抜かれて
  モヤシ状となったものを
  供物として信者に配る。
 
  米どころのベンガルで、
  なぜわざわざ大麦が
  重要視されるのかは
  この祭りの起源を
  示唆するものかもしれない」
 
 と書いている。
 
 そうなのである。
 
 大麦は、
 ドゥルガー・プージャーを考える上に
 大変重要な用件である。
 
 大麦は、現在のインド人を構成し、
 インド文化の基礎を築いた
 アーリア人の原初的な
 主食作物であったのである。
 
 しかも彼らは牛の遊牧が
 得意であったらしい。
 
 大麦は紀元前九千年以前から始まった
 農耕文化の中で
 重要な役目を持っていた。
 
 ヨーロッパから
 中近東、エジプト、ペルシャ、
 インダス河流域まで、
 その耕作地域は広い。
 
 メソポタミアでは、主要食料であり、
 経済の主人公でもあった。
 
 日本の江戸時代における
 米の役目を果たしていたのである。
 
 税として徴収され、
 都市の中には俸給として
 役人などに配給されたり、
 労務者の俸給として支給した例もある。
 
 インダス文明の
 モヘンジョダロやハラッパの遺跡では
 遺物の中に大麦が発見されている。
 
 この大麦、豊饒を願う犠牲祭において、
 供儀される動物の頭にふりかけられるのが
 儀式の慣例であった形跡がある。
 
 ギリシャ語と残る 
 ολαι 、ολων は
 その大麦の粒のことで、
 屠殺の前に犠牲獣の頭にふりかけた。 
 
 この慣習は、
 中国雲南省の少数民族の殺牛儀礼にも、
 大麦が穀物特に米の粥に交替しているが、
 踏襲され反映している。
 
 大麦の「モヤシ状なるもの」は
 明らかに麦芽である。
 
 麦芽が礼拝者に配られることは、
 ドゥルガー女神が
 豊穣の女神であることの
 明白な証左であろう。
 
 麦芽は、
 ビールの原料つまりモルツであり、
 水飴を作ったり、
 麦芽糖の原料にされた。
 
 ビールは
 メソポタミアのシュメル時代に
 すでに醸造され、
 祭礼にも用いられた。
 
 モルツは、
 ドイツ語で Malz 、
 英語で malt 、
 サンスクリット語では valśa 、
 芽あるいは枝の意にはなっている。
 
 大麦を表すサンスクリット語は、
 穀類穀粒をも意味する 
 yava ないし yavasa である。 
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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