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岡田宮・多祁理宮・高嶋宮「注釈②」 [日本創世紀]





日本創世紀




 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―



著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦


 《岡田宮・多祁理宮・高嶋宮「注釈②」


 B.多祁理宮〔広島県〕:埃宮
 『古事記』
  古事記 中卷
   於竺紫之岡田宮一年坐 亦從其國上幸而 
   於阿岐國之多祁理宮 七年坐
   亦從其國遷上幸而 於吉備之高嶋宮八年坐
   其の地より遷移(めぐ)りて、
   竺紫(つくし)の岡田の宮に
   一年(ひととせ)坐しましき。
   また其の國より上り幸(いでま)して、
   阿岐(あき)の國の
   多祁理(たぎり)の宮に
   七年(ななとせ)坐しましき。 
   また其の國より遷り上り幸(いでま)して、
   吉備の高嶋の宮に
   八年(やとせ)坐しましき。 
 『日本書紀』
  卷第三 神武天皇(神日本磐余彦天皇) 
      即位前紀 太歳甲寅十二月
  ○十有二月丙辰朔壬午 至安藝國 居于埃宮
  ○十有二月(しはす)丙辰(ひのえ・たつ)の
   朔(ついたち)壬午(みずのえ・うま)。
   安藝國(あきのくに)に至り、
   埃宮(えのみや)に居(いま)しき。
 多祁理宮「タケリ」:"哮・たけり":
  大声でわめき叫ぶこと。
   "たけ・る"大声で叫ぶ、吠え叫ぶ
 (Grk.)θεο-κλντος(theo-klytos) 
     神に呼び掛ける
    θεο-κλντεω(theo-klyteo)
     神に呼び掛ける、祈る、祈り求める
    καλεω(kaleo)
     呼ぶ、呼び寄せる、招く、招待する、
     (神を)呼び出す、神の名を呼ぶ、
     呼び掛ける
 〔廿日市市の地名〕
 阿品「アジナ」
 (Grk.)Aθηνα(Athina)
    アテネ神、学問、技芸、戦いの女神
 平良・部良「ヘラ」【古代】平安期
  『和名類聚抄』種箆郷「タネヘラ」
 「タネ・ヘラ」
 (Grk.)τανα-ηρης(tana-hris)
    τανα-ηρης(tana-hrees)
    τανηρης(tanyhris)
    長い橈の船=三段橈船
 「タネ」
 (Grk.)τανος(tanaos)長い延びた 
    τανα-,τανυ-(修飾形) 
 「ヘラ」
 (Grk.)ηρης、ηρεες 橈、櫂(かひ)
 三段橈船 
 (Grk.)τρι-ηρης(tri-hris)
    τρι-ηρεες(tri-hrees)
    τριηρης(trihris)
 ※三段櫂船:
 可愛・河合・川井「かわい」
 【中世】鎌倉期にみえる地名。河井。
 「カワイ」 
 (Grk.)κωπη(kwpi) 橈柄・櫂(かひ)
 「カヒ」(日本語へ転訛)
  橈(かい)、小檝〔方言〕楫謂之橈
 ※清代陳昌治刻本『說文解字』
  【卷六】【木部】楫
  舟櫂也。从木咠聲。子葉切
  清代段玉裁『說文解字注』
  所㠯擢舟也。各本作舟櫂也。許無櫂字。
  手部曰。擢,引也。
  楫,所以引舟而行。故亦謂之擢。
  而漢書劉屈氂傳,外戚傳,
  百官表皆用輯濯爲楫擢。假借也。
  毛衞風傳曰。楫所以擢舟也。此許所本。
  今據以正。今毛詩擢譌櫂。
  淺人所改也。鄧通傳。以濯船爲黃頭郎。
  司馬相如傳。濯鷁牛首。
  皆擢舟之義也。詩爾雅音義引說文舟棹也。
  則其誤久矣。棹又櫂之俗。
  從木。咠聲。子葉切。七部。方言曰。
  楫謂之橈。或謂之櫂。
  櫂亦擢之譌也。擢櫂正俗字。方言集汇粤语
 ※多祁理宮のあった位置について
  多家(たけ)神社(延喜式神名帳)の
  多家が多祁・理に近いことから、
  現在安芸郡府中町に想定されているが、
  上記の解釈から、
  廿日市市の可愛川両岸辺りに
  あったものと考える
  当地は佐伯郡内で、
  佐伯氏は大伴氏と同族であり、
  "東征"の際指揮を執った
  日臣/道臣を祖としており、
  当地に勢力を7年に亘って養った
  遺称と考える。
  可愛川上流(内陸)、
  上平良には速谷神社が鎮座し、
  国府が最初に置かれた所である。
 ※同地の海向いに厳島神社
  『延喜式神名帳』
   伊都伎嶋(イツキシマノ)神社名神大・
   安藝國佐伯(サエキ)郡が鎮座し、
   宗像神社の祭神・
   多紀理姫、市寸島姫、多岐都姫の三神が
   奉祭されているが、
   その内の「多紀理姫神」名は
   多祁理と同根語と考える。
   これらの固有名は
   巫女の三つの性格から採った名称で
   「イチキ」は「イタコ」、
   「タキツ」は「田心」と表記されるように
   英語の dance (踊り) と同じく
   巫女の舞い姿を
   そして
   「タキリ」は「神に呼びかけ、神を招く」
   というもの。
   その「多紀理姫神」を祭る神社の近くに
   「多祁理宮」があったとして
   何らかの係わりを考えさせる。
 ※「ヘラ」箆:"へら"とは
  竹片を細長く平たく削ったものをいう。
  (へら)はギリシャ語から日本語へ転訛した。
 ※古代ギリシャにおいては
  長い船は軍船を用いた商船を表わす。
 佐方「サガタ」「サカタ」
 (Grk.)θυγατηρ(thugatir)娘、
  アテネ Aθηνα神は
   処女神として知られる(パルテノン)
 ◎埃宮『日本書紀』
 埃:アイ〔集韻〕於開切 ai'、
   チ・ヂ〔集韻〕直几物
   ◦ほこり、すなけむり、もや
 
 ※この名称が"ほこり"の意味から
  付けられたものでないことは明らか
 「アイ・え」
 (Grk.)αϋω(ayo) 
     叫ぶ、大声で呼ぶ、鳴り響く、轟く
     "大声で呼ぶ"は多祁理
     (哮たけり:大声でさけぶ、
    θεο-κλντος
     「神に呼びかける」)と同義となる
     ◦ 但し、
      埃は「火+矣」 の誤記か誤用であろう。
  「火+矣」:アイ〔集韻〕於開切、
       キ〔集韻〕虚基切 
       ◦輝く、焼く、熱い
   〔玉編〕「火+矣」 、炫也、
   〔集韻〕「火+矣」 、一日、熱甚、
       炫:ケン・ゲン 
       ◦ひかる、輝く、光が上がる、
        照らす、輝き、火の海
 「かがやき」
 (Grk.)γλαυκος(glaukos)
     輝く、光沢のある、明るい
    Γλαυκος(Glaukos)
     船乗りの守護神
    Γλαυκος ύ Πουτιος 
     〔Glaukos u Pontios〕 
     として知られる、つまりアテネ神
     γλαυκ-ομματος(glauk-ommatos) 
     碧い眼の、(あるいは)輝く眼の
    γλαυκ-ωπις (glauk-opis)
     アテネ Aθηνα〔Athina〕神の形容、
     輝く眼のあるいは碧い眼の、を説明 
    γλαυζ(glauks)、 γλαυκος 
    (glaukos)コシキメフクロウ
 福佐売(フクサメ)神社(廿日市市可愛)
  『三大実録』廿二 佐伯郡 榎本連福佐売
 「フクサ」
 (Grk.)ψεγγος(pheggos)
    ψεγγους(pheggous)
      光り、輝く、(特に)太陽の光、眼の光、
     燈火
 「メ・売」"女"あるいは"眼"
 「フクサ・メ」"かがやく眼"または"かがやく女"で
  「輝く眼の女(神)」、
  つまりアテネ神よりなった名称
 ※阿品、佐方はアテネ神に係わる地名である。
  また平良・可愛は橈船にして
  軍船に係わる名称で、
  アテネ神は軍神にして船乗りの守護神である。
  <アテネ・ニケ 勝利の女>
 ☆多家神社
 『延喜式』神名帳 安藝国安藝郡
  訓「オホイヱノ」「オホイヱ」「オホノミ」
  「式内社調査報告」第22巻 619頁
 〔社名〕
  多家の訓については諸説あるが、
  明治7年現地に鎮座されて以来、
  もっぱらタケと呼ぶ、
  現地に鎮座される以前の所在は
  後述するように厳密には不明で、
  その訓は
  九条家本には「オホイヱ」、
  武田本には「オホイヱノ」と
  傍訓を付する。
  また
  吉田家本は「多氣神社」と誤寫し
  「氣」傍書して「家」と訂正し、
  「オホイヘノ」と訓じている。
  近世、
  伴信友人神名帳考證は
  これらの古訓に忠實に従ひ
  「オホイヘノ」の傍訓を付し、
  度會延經『神名帳考證』が
  多家に「タケ」の訓を付し、
  土佐國安藝郡多氣神社(式内社)を
  「タケ」と呼ぶことを援用してゐるのは
  穏當である。
  また
  廣島藩府編集『藝藩通志』巻39、
  祠廟も多氣の古訓がいかにあるべきかを
  種々検討して
  結局「タケ」と訓むべしとしてゐる。
 〔所在〕
  廣島県安藝郡府中町上宮の町二〇九一番地
  〔A〕この所在地は
  事項の論社の問題の結果として
  明治7年4月鎮座された場所である。
 ※「多家」の訓は
  「オホイヱ」か「タケ」か確定されていない。
 ※同神社の鎮座地が
  どこであったか確定されていない。
 ◎「多家」は「多祁理」とは
  全く語源が異なり関係はない。
 多祁理「タケリ」:哮・たけり/たけ・る:
         大声で叫ぶ
 (Grk.)θεο-κλντος(theo-klytos) 
     神に呼び掛ける、祈る
 多家「タケ」
 (Grk.)ταγη(tagi/tage)
     支配者、命令を下す者、戦列・前線
    ταγος(tagos)指揮者、支配者
 
 ※多家神社の所在地が
  多祁理宮のあった所とは必ずしもいえない。
  特に多祁理宮を
  現在の府中町に想定することは、
  速谷神社の鎮座理由からして不適当。
  安藝國の立国時の政治的中心地は
  現在佐伯郡にあったことは
  明らかであり、
  後の國郡制が設けられる時に至って
  府中町方面にその中心が
  移転したものとみられ、
  多家神社はその時代からの鎮座と推測される。
 「オホイヱ」「オホイエ」
 (Grk.)οιαζ(oiaks)、αιάκος  
     <舵、舵柄>の転訛か?
 ◎多祁理宮の比定地
 (1)廿日市市廿日市高州
 高州「タカス」
 (Grk.)ταγος(tagos) 指揮者、支配者
    高洲とは表記されないので砂洲ではない。
 (2)廿日市市  
   
 峰高「ミネタカ」(旧名)宗高尾「ムネタカ・オ」、
  尾は七尾というように丘陵の尾根の意味
 「ミネ」・「ムネ」
 (Grk.)μενο(meno) 
    μενεμεν(不定詞、叙事詩menemen)  
    μενησι(menysi三人称単数) 
  ◦持ち堪える、(特に戦いで)踏み留まる、
   (攻撃に)耐える
 「タカ」
 (Grk.)ταγη(tage)
     戦列・前線、支配者、命令を下す者
 「ミネ・タカ」
  戦いで踏み止まっている前線
  戦いの前線で踏み止まっている支配者
 ※(1)、(2)とも
  東征の前線に駐屯した支配者の駐留地として
  適しい遺称といえる。
  M.K記

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