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岡田宮・多祁理宮・高嶋宮「注釈③」 [日本創世紀]





日本創世紀




 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―



著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦


 《岡田宮・多祁理宮・高嶋宮「注釈③」
 ◦福山:ふくやま(廣島県)
 市の中央にある丘陵。福山に依る地名。
 この山は蝙蝠(こうもり)山とも称された。
 
 「こうもり」
 (Grk.)ημερά(hmera) イオニア訛り 
    ημερη(hmeri)
     η(h)は時としてkh(k)と発音される。
 
 「フク」
 (Grk.)ψεγγος(pheggos)日、昼間
    ψεγγους(pheggoys)
     光、輝き、(特に)太陽の光、眼の光、
     燈火
    ψεγγω(pheggo)光り輝く(形容詞)
 
 旭ヶ丘(福山市東南部の丘陵)旧安那郡のうち、
  旭:朝日
 
 引野:ひきの(福山市)旭ヶ丘の西部から
    西北部に広がる地名
 
 「ヒキ」
 (Grk.)ψεγγω(pheggo)光り輝く(形容詞)
    ψεγγους(pheggoys)
     輝き、(特に)太陽の光※朝日に対応する
 
 燧灘:ひうちなだ
    (広島、愛媛、香川3県にまたがる灘)
 
 「ヒウチ」はψεγγος(pheggos)に係わる。
 
 ◦安那郡(備後国東南端の郡名)
 
 「アナ」
 (Grk.)άνα(ana)、άναξ(anaks)、άνακτος    (anaktos)の呼格(voc)
     王、支配者、領主など
  備前国邑久郡安仁神社の「安仁:あに」と同根
 
 ◦多理比神社「延喜式」神名帳 
  備後品治郡 訓「タリヒノ」
 
 「タリヒリ」三段橈船
 (Grk.)τρι-ηρης(tri-hris)
    τρι-ηρεες(tri-hrees)
    τριηρης(trihris)
 
 品治(ホムヂ)郡(現)福山市駅家町周辺
 
 「ホムヂ」(旧名品遅「ホムチ」)
 (Grk.)Ημαθιη(Hmathih/Émathië)
 (現)福山市駅家町坊寺の
   「坊寺」/法師村(江戸時代)
 ※マケドニアの古称<ここではマケドニア人>
 
 江良(福山市駅家町江良)
 
 「エラ」
 (Grk.)ερετμον(eretmon)橈
    ηρης(hris:eris)橈/櫂
    ηρεες(hrees:erees)橈/櫂
 
 大草神社(江良にある)
 
 「オホクサ」
 (Grk.)αικαος(aiakos)舵、舵柄
    οιαξ(oiaks)舵、舵柄
 
 ◦蘇羅比古神社「延喜式」神名帳
  備後国三上郡 訓「ソラヒコノ」
 
 「ソラ」① 
 (Grk.)σολος(solos)鉄の塊
  (現所在地)
 A:広島県庄原市本村町 蘇羅比古神社 
  鍬寄山にある。
 B:広島県庄原市高町川西 蘇羅比古神社
  ※当地は古代より鉄の産地、両地の間にある。
   大黒目山の「黒目」は磁鉄鉱を表わす。
   また、
   篠津原(字名)は(Grk.)の「鉄」を意味する
   σιδλος(sidlos) に係わり
   「篠:ササ」は砂金を表わしている。
  ※当社の創建の理由は
   この「鉄塊」の産地であることに始まると
   考える。
   但し、その後、その解釈は変更される。
 
 「ソラ」② 
 (Grk.)σελας(selas)光、光輝、電光、火
  つまり、電光・雷光(稲妻)の意味が加わる。
  なぜか、
  郡名「三上」・「延喜式」神名帳 訓「ミカミ」
 
 「ミカミ」
 (Grk.)μυκεμα(mykema)咆え声
    μυκαομαι(mykaomai)
     轟く、大きな音をたてる、咆える、唸る
     >雷鳴を表わす。
  ※鉄塊の神から
   「雷神<雷電(光)>の神」へ変わっていった。
   本村町に岳音寺という寺院がある。
   「山(岳)の音」とは雷鳴を窺わせる。
   その本村町の東方
   比婆郡東城町の庄原市よりに
   御神山「ミカミヤマ」があり、
   その北方辺に「帝釈」を冠した地域もある。
 
   帝釈は仏教用語で本来は
   インドのヴェータにおける最高神にして、
   雷神の性格を持つインドラ神の語義であり、
   「ミカミ」が「雷電」に
   係わっていることを示している。
 
   この「三上」は
   滋賀県野洲郡野洲町の三上、三上山と
   同根である。
 
 野洲「ヤス」
 (Grk.)Yης(Yes、本来はディオニソス神の呼称)
    豊饒をもたらす雨神
 
 「ヤツ」
 (Grk.)υετος(yetos) 雨、(特に)激しい驟雨
    υετιος(yetios) 雨をもやらす、雨の
 
 東城町・西城町の「シロ・城」
  この地域が鉄の産地であることから 
  σολος(solos)が語源であろう。
 
 C.高嶋宮〔岡山県〕
 
 『古事記』古事記 中卷
 
  亦從其國遷上幸而 於吉備之高嶋宮八年坐
 
  また其の國より遷り上り幸(いでま)して、
  吉備の高嶋の宮に
  八年(やとせ)坐しましき。 
 
 『日本書紀』卷第三 
  神武天皇(神日本磐余彦天皇) 
 
  乙卯年の春三月の甲寅の朔己未に、
  吉備國に徙りて入りましき。
  行館を起りて居ます。
  之を高嶋宮と曰ふ。
  三年積る間に舟檝を脩へ、兵食を蓄へて、
  將に一たび舉げて天下を平けむと欲也。
 
 「延喜式」神名帳 備前國邑久郡
 ◦安仁(アニノ)神社名神大
 「特選神名諜」
  安仁神社 備前國邑久郡
   名神大、
   祭神:五瀬命(潔云五瀬命と云ふは
          近年云出したる妄説なり)
   祭日:十月三十一日至十一月一日
   社格:國弊中社
   所在:藤井村宮城村(邑久郡大宮村大字藤井)
 
 ◦安仁「アニ」
 (Grk.)άνα(ana)、άναξ(anaks)、
    άνακτος(anaktos)の呼称
   ◦王、支配者、領主、主人、貴族、
  命令者、指揮者
  安仁神社は「久方(ひさかた)宮」
  と呼ばれてきた。
  久「クス」
  (Grk.)άναξ(anaks)のξ(ks)の転用
  ※このことから
   安仁神社とは「王 神社」の語義となる。
   同神社近くに、大王寺が建てられ
   地名となって残っているのも参考となる。
 
   ◦宮城山、(式内社調査報告)別名 鶴山「ツル」
  (Grk.)θυρα(thura)、
     θυρη(thuri、イオニア訛り)
     戸、扉、戸口、門
     ◦邸、宮殿:宮城
   宮城・鶴(つる)は同義で「宮殿」を表わす。
   よって安仁神社は"大王(王)の宮殿"を
   継承するもので、高嶋宮の位置である。
 
 藤井、宮城山のある地域で、旧村名、現大字名
 
 「フジ」
 (Grk.)ψως(phos)
    日、一日、
    ◦燃える火の光◦燈火◦眼の光◦眼
    アテネ神の「輝く眼」に対応する。
    〈久方(ひさかた)の「ヒサ」にも対応〉
 
 東片岡、西片岡
 (安仁神社のある西大寺一宮の西隣りの地区名)
 
 片「カタ」
 (Sk.)ketu 光、光輝、光明、燈火、指導者
 
 朝日(片岡にある字名)ketuに対応する。
 ketuに指導者の意味もあることからすると、
 片岡とは鶴山/宮城山を指している。
 
 滝神社(西大寺一宮)安仁神社の近くに鎮座」
 
 「タキ」
 (Grk.)ταγη(tagi)
    支配者、命令を下す者、戦列、前線  
 
   ◦邑久(おく)郡(古代~現在の郡名)
  「延喜式」民部省國郡表
  九条家本「オホク」
   ◦邑久郷「和名類聚抄」邑久郡のうち
  大化改新(乙巳の変)以前「大伯国」
 
 「オホク」「オク」
 (Grk.)ογκα(ogka)アテネΑθνα神の呼称
  ◦ογκαはまた「オンガ」とも訛り、
  遠賀:オンガ(福岡県)と係わり、
  この邑久・オクも崗水門の「オカ」
  (船の停泊地)であったかもしれない。
 
   ◦幸島「こうじま」(岡山市)片岡・邑久郷の西方
  水門湾お奥で現在水門町となっている地域は、
  元"幸島"と呼ばれる島であった。
  付近の地名 
   神崎(こうざき)、幸田(こうだ)、神崎町 
  ※その他 幸島・こうじま(笠岡市)
 
 「コウ」〈コフ〉
 (Grk.)κωπη(kopi) 
    櫂・カヒ、橈柄、
    ◦軍船(橈船)の寄泊地を
    「コウ」で表わしている。
 
 ※高嶋宮は一般に
  「タカシマ」と訓まれてきたが、
  「コウシマ」と訓む方が真実らしい。
  安仁神社と幸島は3㎞程の距離にあり、
  水門湾の呼称は崗水門(福岡県)と共通であり、
  この静かな湾内に
  軍船を停泊させていたものだろう。
 
  古代の当時は海域が東片岡、つまり
  安仁神社の麓辺りまで入りこんでいた。
  
  船の停泊には最も静かな
  安全地帯であったはずである。
 
  ◦高島・たかしま(岡山港近く、児島湾の島)
  高島神社(岡山市宮浦)
  高島に祭儀の跡を持つ
  高島遺跡があることから、
  この辺りに高嶋宮あったの説もあるが、
  同地はあくまで祭祀場にすぎず、
  軍団の停泊地たり得ない。
 
  祭祀遺跡の遺物は5世紀以降、
  その後半から6世紀前半が盛ん。
 
  ◦阿知〈上下〉(岡山市)邑久郡の東方
        西大寺一宮(安仁神社)の北方
 「アチ」
 (Grk.)Ατθη(Atthi)、Ατθις(Atthis)、
    Αττικη(Attikh)・アッチカ地方
  Αττικηはアテネを主祭人とする。
  ギリシャのイオニア人が建立した
  アテネを含む地方名
 
  ◦阿智郷(倉敷市)
   【古代】「和名類聚抄」
   備中國に浅口郷8郷の1つ。
   (現)倉敷市西阿知町
 「アチ」Ατθη、
 浅口郷「アサクチ」Αττικη(アッチカ)
 
 阿知〈倉敷市〉倉敷の古名 
        (現)倉敷駅の東付近
  阿智神社(倉敷市鶴形)鶴形山に鎮座(山頂)
   ※アッチカの祭神を祀る神社 
  足立神社 「延喜式」神名帳 備中國窪屋郡
  足立神社訓「アシタカノ」
   (現)倉敷市笹沖(旧名篠沖)
  「式内社調査報告」第二十二巻、p.424
   葦高宮、葦高大明神、葦高明神
 
 「アシタカ」
 (Grk.)Αττικη(アッチカ)
 
 「倉敷」
 (Grk.)κελεω(keleysma)
    命令、呼び声、掛け声
        κλησις(kliss)
    呼ぶこと、呼びかけ、呼び名
 
 「クラシキ」
 (Grk.)καλεω(kaleu)
        (神を)呼び出す、神の名を呼ぶ、
    ◦呼び掛ける、呼ぶ
 
 ※「神の名を呼ぶ」のは
  「神を尊崇する」ことであり、
   岡田宮(福岡県)、多祁理宮(広島県)の地名
   などに連なる性格である。
   これらのギリシャ語に従い、
   漢字を当てたももだろう。
   その延長に「児島」はある。
 
 「児島」コシマ、コジマ(倉敷市)
  【古代】「延喜式」民部省國郡表にみえる
   備前國8郷の1つ。
   九条家「コシマ」
   「和名類聚抄」の訓「古之末」
   「延喜式」神名帳 児嶋郡の訓「コジマ」
  ※倉敷市の当該地区はかって"島"であった。
   
 「児」の由来、
   「クラシキ」の語源に発音が近いギリシャ語
 (Grk.)κορος(koros)、κωρος(koros)
    少年、若者を意味し、「児」に相当する。
 ◎児島はこのような相互関係
  で生まれた島名地名である。
 
 箆取神社(倉敷市連島・つらしま西之浦)
  西阿知の南隣が連島地域
 
 箆「ヘラ」
 (Grk.)ηρης(hris)、ηρεες(hrees)
    橈柄、櫂(かい)
 「ヘラ取」櫂取、つまり「船の漕ぎ手」を表わす。
 船乗りの信仰が厚かったのはこの理由による。
 
 連島・つらしま(倉敷市)
 【古代】
 「和名類聚抄」備前國児島郡4郷の1つ。
        都羅郷の比定地、高山寺本
 豆良「ツラ」
 (Grk.)θυρα(thura)◦邸、宮殿」、戸、戸口、門
 ◦ 何時の時か、船乗りたちの親方などの邸宅が
  箆取神社辺りにあったものだろう。
 M.K記

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