終章 (5)砥上郷〔三毛郡〕と田隈〔大牟田市〕 [日本創世紀]
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日本創世紀
―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《終章 卑弥呼の「倭錦」》
(5)砥上郷〔三毛郡〕と田隈〔大牟田市〕
砥上郷名はこれまで全く触れず無視してきた。
和名類聚抄筑後国三毛郡の郷名で
「砥上」と訓む。
その祖語はギリシャ語の
theo-xama〔神の塚(岬)〕で
「神の丘」を示している。
つまり
大牟田市八本町の岩倉を呼んだもので、
そこは神が奉られている丘であった。
本書第3章で説明したように、
そこは古代に海に突き出た岬だったと説明した
地理事情そのままが xama である。
越後国へギリシャ語が入ってきた経緯は、
第7章(3)の「(d)巻貝と有明海」で説いた。
その「アリアケ」も
「エリュトラー海案内記」で
Ariake とギリシャ語の「インド」を
対象とする呼称として多く使われている。
砥上郷の当該地は
大牟田市の堂面川の北方で、
草木地区の北東側に接する
「田隈」である。
その表音は「タクマ」だが、
それもギリシャ語の
theo-xama〔神の塚(岬)〕で
「女神の丘」となり、
その丘で奉祭されているのが、
「女神」だと教示している。
M.K記
連絡先:090-2485-7908
2019-05-06 13:11
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