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終章 (4)ヤマト:大倭、〇倭国、大和、◎倭姫命、日本 [日本創世紀]


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日本創世紀


 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―


 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

  

《終章 卑弥呼の「倭錦」
(4)ヤマト:大倭、〇倭国、大和、◎倭姫命、日本
  
 前記(3)で紹介したYMYT〔海人〕がまた
 「ヤマト」の表音になっている。
 日本史上の諸史料に
 「ヤマト」呼称で登場する表記は 
 大倭、
 〇倭国、
 大和、
 ◎倭姫命、
 日本の五例である。
 前の二者は奈良盆地での呼称用語である。
 「大倭」の由来は、本書第4章で紹介したように
 本来「オウハ」で abha〔光、光明〕の音写で、
 また「大和」は「ダイファ」で、
 第6章で「崇神」の語義であることを紹介した。
 両表記とも当て字で、「やまと」とは読めない。
 「ヤマト:YMYT:海人」は
 伊都国の東漸した人々が勢力圏とした
 和歌山県〔紀伊国〕伊都郡
 (橋本市など奈良県との境界)に入った人々が
 また奈良盆地に移住定着して同地を「ヤマト」と
 呼び慣らしたことから始まった用語である。
 伊都郡内にある
 「九度山」はそこにそういう山名も
 ないことからしても
 「クドヤマ」はヘブライ語の
 kDYM の音写で「東の、東方」の語義で、
 当地が「東方の伊都」を表し、
 九州の伊都国の勢力が
 東方へ伸張してきたことをすでに示した。
 また『記・紀』に「海人」の確かな情報が
 「大倭」の由来として記述されている。
 「神武東征」が伝承する
 「椎根津日子」『日本書紀』、
 「槁根津日子」『古事記』の
 「シオネ」「サオネ」がそれである。
 同語は双方とも同根で
 ヘブライ語の SPN が祖語で
 「船乗り」を表す。
 彼は
 『古事記』に
 「亀の甲に載って釣爲しながら羽挙き来る人」とあり、
 『日本書紀』には
 「一人の漁師がいて小舟に乗って来た」とあり、
 「釣」「漁師」表記により
 「漁師」にして「海の人」であることが解る。
 『古事記』には「此者倭國造等之祖」、また
 『日本書紀』は椎根津彦の別称「珍彦」名を以って
 神武天皇2年条に
 「以珍彦爲倭国造」と「国造」の祖としている。
 現在その信仰の中心として天理市の
 「大和神社〔大倭神社とも〕」が奉祭されている。
 その「倭」も「ヤマト」でヘブライ語の
 YMYT〔海の人〕が源語であるのは明白である。
 奈良盆地が「ヤマト」となった歴史上の伝承は
 それが始まりである。
 「ヤマト」と称する「大倭」あるいは
 「大和」〔奈良盆地〕の名称起源は
 邪馬台国名と全く関係ないのである。
 すでに第6章で述べた通り
 神武東征は崇神東征であり、
 その時期は3世紀末以降の事件で
 卑弥呼の時代とも全く異なっている。
 奈良時代には奈良盆地に「大和国」はもちろん、
 「ヤマト」もなかったろう。
 いうなれば「大倭:オウワ」の時代であった。
  さて、
 「倭姫命」の「倭」も「ヤマト」と呼称される。
 姫命が果たした役割は天照大神を奈良盆地から
 三重県の伊勢へ遷宮させたのにあった。
 『古事記』に
 「倭比賣命の宮を拝(いつ)き祭る也」とある。
 『日本書紀』崇神天皇紀にはその正称として
 「千千衝倭姫命」とある。
 同紀には、
 天照大神に初め豊鍬入姫命を付けて
 倭の笠縫邑に祭らせた。
 また、
 大国魂神には淳名城入姫命を付けて
 お祭りをさせたところ、
 同姫は髪がぬけて身体が細って、
 大国魂神を祭ることができなくなったとある。
 そして「垂仁天皇紀」23年3月の段に
 天照大神を豊耜入姫命から離して
 倭姫命に付けたとある。
 その交替の理由は述べられていないが、
 やはり淳名城入姫命と同様
 豊耜入姫命も
 「髪がぬけて」しまったとからとみられる。
 
 なぜならば、
 その「ヤマト:倭」の語義がサンスクリット
 yamati〔頭髪を整える〕にあると
 解釈するからである。
 「千千衝倭姫命」とある「チチツキ」は
 ギリシャ語〔崇神天王集団の言葉〕での
 TeTeno-ThrXos に依るもので
 「髪が長くて真っ直ぐな」の意義で、
 いわゆる「櫛を入れて髪を整えられる」と、
 同姫がまだ稚い娘であることを意図している。
 この
 「ヤマト:倭」の語源は yamati である。
 『日本書紀』では
 「日本」と記して「ヤマト」と読ませている。
 『古事記』が「倭」と記すところを
 「日本」としている。
 例えば、
 神武天皇の「神倭伊波礼比古」『古事記』を
 「神日本盤余彦」と記す。
 現代ではあるが、
 東京都台東区の地名に「山谷」とあり、
 一般に「さんや」と通称しているが、
 これは本来「ヤマヤ」で
 記述のYMY〔海の人:漁師〕で、
 その隣りに「日本堤」とあり、
 「ヤマト」の表記である。
  M.K記

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