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終章 (3)邪馬臺と邪馬壹 [日本創世紀]



(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪

 

 日本創世紀

 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
  

《終章 卑弥呼の「倭錦」
(3)邪馬臺と邪馬壹
  
 倭人伝の版本『紹興版本』には
 「邪馬壹」とあるが、
 『宮内庁書陵本』も同様の記述になっている。
 
 チャイナ<中国> の歴史書などを大総集した
 四庫全書の
 『三国志魏書』倭人伝にも「邪馬壹」とある。
 
 その四庫全書の
 漢書には「祁馬臺」、
 後漢書には「邪馬臺」、
 梁書には「祁馬臺」、
 隋書には「邪靡堆」とある。
 
 また魏書作成の参考にされたらしい魏略を集めた
 『魏略輯本』には「鎮馬臺」、
 
 また日本の古代に作成されたという
 『翰苑』には同様の「鎮馬臺」とある。
 
 「臺」字は現状の「台」字の旧字であり、
 「壹」はまた「壱」「一」の旧字である。
 
 よって「邪馬臺」は
 「邪馬壹」と表記される場合もある。
 
 上記の諸史料によって明白なように
 「邪馬壹」は魏書だけの表記で外には一切
 「邪馬臺」と同様「タイ〔堆も同じ」〕」となる。
 
 本書は正当な呼称を「ヤマタイ」とし、
 その祖語 
 jambu-dvipa として紹介してきた。
 
 魏略、翰苑の「鎮馬臺」及び
 漢書の「祁馬臺」はその発音に近い。
 
 邪馬台の祖語を確かにする傍証になっている。
 
 だが、「邪馬壹」が全くの誤記あるいは
 誤用とするのも妥当ではない。
 
 魏書が作成された当時2、3世紀の
 「倭」の社会情勢を考慮すれば、
 情報を収集した者が
 「ヤマイチ」と聴いたとも推測できる。
 
 その呼称にも納得できる背景がある。
 
 倭人伝の冒頭の文章に
 
 「倭人は帯方の東南大海の中にあり」とあり
 
 「大海」に係わる。
 
 「ヤマイチ」は
 伊都国の主要族類ヘブライ人の言葉で
 「海の人」の語義である  
 YMYT の音写であるからである。
 
 またより広範囲の社会情勢も
 考慮しなければならない。
 
 第2章倭人伝の諸国地理で考察したように
 対馬国、壱岐国はもちろん、
 末廬国から始まって
 伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国と
 すべてが海岸に位置する。
 
 これらは海外から渡来した
 海洋貿易商人などが建てた居留地である。
 
 その居住者の中心は
 「海洋人」にして「海人」である。
 
 YMYTとの呼称は
 けっして誤記あるいは誤用ではないのである。
 
 同語を文法的に解釈すると 
 YM は「海」で、
 YMY あるいは YMYT が
 「海の」だから「海の人」となる。
 
 本書第5章の(6)で述べたが、
 イザヤ書の「地の果ての島々」で
 「海に漕ぎ出す者」
 「海に満ちる者」とあるように、
 
 極東へ「ヘブライ人の海人」
 も渡来していたのである。
 
 倭人伝に卑弥呼を代理とする官命として
 「大倭」とある。
 
 その語義は
 「海洋交通担当官」といったところであろう。
  M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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