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第7章 卑弥呼の「倭錦」(4)「倭錦」は貝染の織物 [日本創世紀]

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(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
  
《第7章 卑弥呼の「倭錦」
 
(4)「倭錦」は貝染の織物
 
  「錦:ニシキ」名について解釈してみたい。
  
 「ニシキ」はヘブライ語の
 NTsKh〔輝き、光輝〕の音写で、
 絹が光沢を持つ理由により呼ばれたものである。
 
 「大漢和辞典」は「錦」を「あやおり」としている。
 
 その「アヤ(綾)」も
 ヘブライ語の IYN による呼称名で、
 本来は「目」であるが、
 「編み目」「色合い」である。
 
 「説文解字」及びその「通訓定声」は
 
 「紫絲織之」とある内容を前に紹介したが、
 絲(絹)をまず染色し、
 それを以って紋様を付けて織布したもの、
 編み目を以って装飾するものである。
 
 同書がいうには
 染色の色は「紫」と限っている。
 
 織布の後に染色するのではなく
 絲の段階で染色するものである。
 
 よって「倭錦」は
 
 「絲(絹)を紫色に染めたもので織りながら
  紋様を付けた絹織物」となる。
 
 その紫色は「貝紫」によって製作された、
 倭国独自の工芸によって算出されたものであった。
 
 「倭錦」を「貝紫」とする見解はすでに
 布目順郎氏はじめ
 吉野ヶ里遺跡発掘に係わった人々によって
 提出されている。
 
 紀元前2、1世紀から
 紀元後2、3世紀にかけて、
 
 九州方面は従来解釈されてきたような
 非文化的後進社会ではなく、
 西方の技芸まで浸透し先端技術を獲得して
 生活の用に備えた先進社会にして
 国際性豊かな社会だったのである。
 
 本書では解説しない
 ガラス工芸や青銅<錫合金>など
 極めて高い精度の製造品を生産していて、
 その工作の様子が解る遺品が
 同地方の遺跡から出土している。
 
 もちろん、
 その工業段階は手工芸であり、
 大規模工場などはない。
 
 その先進的工芸の一つが「倭錦」で、
 卑弥呼は
 その高技芸品を魏国へ贈ったのである。
 
 ために魏国側も朝貢貿易の轍に即して
 それ相応の上等品を答礼として
 使節に渡したのである。
 
 その状況から判断すると、
 倭〔邪馬台国〕は
 決して魏の属国でもなかったし、
 帯方郡の傘下の属領でもまかった。
 
 つまり、
 その冊封体制〔封建制〕の外にあったのである。
 
  M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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