SSブログ

邪馬台国の性格と卑弥呼(10)神武天皇勢力の東征経路3 [日本創世紀]

『歴史徒然』History Tsuredure https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
『歴史創世』Rekishi Sousei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史徒然』Rekishi Tsuredure http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/
『歴史再考』Rekishi Saikou https://momo-momo-matmkanehara-momo.blogspot.com/
『猶本光サポーターズサイト』http://hikaru-naomoto.net/
『浦和レッズレディース』http://www.urawa-reds.co.jp/ladies/
『日本創世紀』の目次へ戻るhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-12-1 
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
 
(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《第4章 邪馬台国の性格と卑弥呼》
  (i) 太陽信仰は大倭経て東国へ
 
 『古事記』は
 「神八井耳命」の後裔として
 次のような族類を記載している。
 
 その名称の由来について
 確信のあるものには追記する。
 
  (1) 意富臣ー多氏<大和国十市郡飯富郷>
 
  (2) 小子部連
 
  (3) 坂合部連
 
  (4) 火君ー肥国<熊本県:肥後国>
 
  (5) 大分君ー<大分県>
 
  (6) 阿蘇君ー熊本県阿蘇郡
 
  (7) 筑紫三家連ー三毛郡・
     御木国<福岡県大牟田市>
 
  (8) 雀部臣
 
  (9) 雀部造
 
  (10) 小長谷造ー長野県長野市:長谷神社
 
  (11) 都祁直
 
  (12) 伊予國造ー伊予国<愛媛県>
 
  (13) 科野國造ー長野県
 
  (14) 道奥石城國造ー岩城<福島県>
 
  (15) 常道仲國造ーひたち那珂<茨城県>
 
  (16) 長狭國造ー長狭郡
 
  (17) 伊勢船木直ー三重県
 
  (18) 尾張丹羽臣ー丹羽郡<愛知県>
 
  (19) 島田臣ー海部郡島田<愛知県>
 
 このうち本書の
 「神武東征の経路」で述べた
 西日本域の関係は、
 
 (4) 火君、(5) 大分君、(6) 阿蘇君、
 (7) 筑紫三家連、(12) 伊予國造とある。
 
 しかし、
 その中で多いのは東国地域である。
 
 東山道を通って
 多神社奉祭の勢力はその勢力圏を伸張、
 あるいは移動した様子が
 これによって明白となっている。
 
 古代奈良時代
 8世紀前半まで東海道はなく、
 東国との交通は陸上の東山道が幹線であった。
 
 後裔のうち
 (13) 信野國造及び
 (10) 小長谷造に係わる
 太陽信仰について解いてみる。
 
 東山道が尾張国から神坂峠を越えて
 科野〔信濃〕へ入った所に
 「阿智」との地名がある。
 この「智」は「知恵」で
 サンスクリット語の一つ
 jināna が転訛して「シナノ」となった。
 
 この場合が「信濃」との表記になる。
 
 「信濃」との漢字表記は染色に使う
 「紫草の根子の産地」を示す。
 
 東山道は
 伊那谷から善知峠を越えて筑摩郡へ入った。
 
 その右側に東山と称した筑摩山地があり、
 現在の塩尻市から松本市へと
 街道は伸びていく。
 
 「筑摩」には太陽信仰に係わる
 地称が遺存されている。
 
 峠名
 「善知鳥」は鳥の名称ではあるが、
 その
 「ウトウ」は 
 utu〔太陽〕に依る。
 
 この峠から先
 太陽信仰の地だと知らせているのである。
 
 「筑摩」とは郡名であるが、
 やはり「筑摩山地:東山」がその起こりである。
 
 同名は
 「チクマ」と称するが、
 tigma〔熱ながら太陽〕の音写である。
 
 その取付けの麓は
 「片丘」という。
 
 「丘」は山地ながら
 「カタ:片」は 
 ketu〔光、光明〕で、
 筑摩山地が「光の丘」と示している。
 
 その光は隣の「広丘」名によって解釈される。
 
 「ヒローカ」は 
 viroka〔光輝、夜明けの光〕であり、
 東山に太陽が昇り日光が射し込む様子をいう。
 
 なにしろ
 その西隣り日本アルプスの山麓地域を
 「朝日」というのだから間違いない。
 
 「チクマ:筑摩」とは誠に
 「曙光」を指している。
 
 同語は大牟田市の
 「手鎌」の源語であると
 指摘した用語である。
 
 さらに「塩尻」名だが、
 「本塩尻」との地称が
 筑摩山地の南端諏訪盆地への峠近くにあり、
 本来その山地名に係わるとみられ、
 「シオジリ」は
 「ティティリ」で
 theothir〔女神〕を語義とし、
 太陽女神、
 つまり天照大御神を想定した名称である。
 
 同山地の北部は「美が原」高原だが、
 「美しい女」または
 「ウツシ-がはら」と
 utu-si〔太陽-輝く〕との
 太陽女神の形容によって始まったとみられる。
 
 松本市から東へ峠を越えて行くと
 千曲市(旧更殖市〔更級郡・殖科郡〕)へと至る。
 そこは「小長谷造」の地所で、
 「延喜式」神名帳信濃国更級郡に載る
 「長谷神社〔現長野市塩崎(村)長谷〕」に係わる。
 
 同社は「八聖神」という
 「神八井耳命」を祭神として奉祭している。
 
 その
 「オハセ」は
 obhasa〔光明、光輝〕で
 「ハセ:長谷」は
 bhasaで同義である。
 
 同神名帳更級郡には
 「日置神社」が記載されており、
 鹿児島県の日置郡と理由を同じくし、
 筑後国三毛郡日奉郷の祖地と
 同じくしていると覗われる。
 
 また
 「粟佐神社」ともあり、
 「アワサ」は
 abhasa〔光明、光輝〕の音写である。
 
 M.K記
 連絡先:090-2485-7908  

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

nice!の受付は締め切りました

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。