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第4章 邪馬台国の性格と卑弥呼 (7)卑弥呼の「鬼道」:日奉郷あるいは天照大御神 [日本創世紀]

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(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《第4章 邪馬台国の性格と卑弥呼》

 (7)卑弥呼の「鬼道」:
日奉郷あるいは天照大御神
 
  倭人伝は
 卑弥呼が「鬼道」に仕えているといっている。
 
 その語義は「神道」と同じで、
 シナ〔魏〕人には理解できない
 「神信仰」であるとの指摘はすでにした。
 
 それではどんな信仰なのか考察する。
 大牟田市八本町〔岩倉〕には「太神宮」の
 祠があることはすでに説明した。
 
 そこで卑弥呼が巫女であることから
 「太」は「ウズ」でアズミ族の言葉の
 uzu〔占い師〕の音写と指摘したが、
 後世の信仰の一般的呼称からすると、
 「太神宮」は
 伊勢神宮〔三重県〕に係わる呼称である。
 
 実際「大牟田市史」によると、
 祭神は「天照大神」となっていて整合する。
 
 さらにいえば、
 卑弥呼が奉祭していたのも「太陽神」といえる。
 
 和名類聚抄「筑後国三毛郡」の郷名に「日奉」とある。
 
 その語義は
 「日〔太陽〕を奉る〔立てる〕」ということである。
 
 岩倉の周囲に同語の地称はないが、
 実は同義の地名が付近にある。
 
 「久福木」がそれで、
 岩倉の東北堂面川を北に越えた地域である。
 
 その呼称「クブキ」はアズミ族の言葉で
 kub-ug〔立つ(置く)・光・昼〕で、
 
 「日・昼(太陽が上がっている時)を奉(立て祭)る」
 
 となる。
 
 これはまた「日置」との概念となる。
 
 久福木が「日奉郷」の当該地名である。
 
 ところで
 「太神宮」の「太(ウズ)」は
 uzu〔占い師〕と発音が近い
 utu<ud>〔太陽〕が源語でもある。
 
 また「神宮」の「ジン〔神〕」は gin で、
 神宮は「光の宮」で「太神宮」は「太陽光の宮」と、
 この用語も太陽神を奉っている様子を表わしている。
 
 卑弥呼から大分離れるが、
 伊勢神宮の祭神は
 『古事記』に記されて「天照大御神」とある。
 同神が太陽神であることは
 古くから知られるところとなっているが、
 呼称の由来は興味深い。
 
 「天照」は字義の通り「天の照り」
 あるいは「天を照らす」ではあるが、
 実は utu-si〔太陽-光る〕から出た用語である。
 
 後段の si〔光る〕は「照る」で 
 utu〔太陽〕の「ウツ」は「空(うつ)」にして
 「そら」で「天」となっている。
 
 また
 「大御神」名は単なる尊称ではなく、
 「大」は「オウ」で au〔日、昼〕に依るし、
 「御」は「ミ」で mi〔女〕に依っている。
 
 「オウミ神」は「太陽の女神」が語義である。
 
 ここでは述べられないが、
 日本の神義上、太陽神には男神・女神がある。
 
 天照大神を「女神」とするのが
 一般通念となっているのは
 そこに由来があるのである。
 
 伊勢神宮の別称として「神明宮」がある。
 
 一般に「シンメイ」と称されているが、
 本来は「ジンメイ」で 
 gin-me〔輝かす-土地〕で
 「地を照らす」太陽の意義である。
 
 また皇大神宮とも称される。
 
 その字義の由来はさておき、
 「コウタイ」は 
 ge[ku]-u-de〔日をもたらす〕の音写である。
 
 同神宮には
 内宮(伊勢市宇治館町)と
 下宮(伊勢市豊川町)との両宮がある。
 
 内宮は一般に「ナイ宮」というが、
 「内」は「ウチ」にして utu〔太陽〕、
 そして「外宮」 は「ゲ宮」で ug〔日〕に依り
 双方とも太陽に係わる。
 
 外宮の御祭神は「豊受大神」という。
 
 「豊受」はまた「止由気」とも表記されるが、
 「トユケ」は de-ug〔もたらす-昼・光〕と
 太陽神を招来させる役目
 あるいは先導する概念がある。
 
 因みに「トヨウケ」の「トヨ」は
 サンスクリット語で toyo〔天・神〕、
 「ウケ」は「食料」との vukas に依り、
 同語は「天神の食膳」を表し、
 主祭神の天照大神に奉仕する神性を示している。
 
 ところで2013年は第62回遷宮式の年であった。
 
 伊勢神宮においてなぜ遷宮が大掛かりに
 行なわれるようになったのかの理由は
 これまで明確には知られていない。
 
 本書ではその由縁正鵠に説明することができる。
 
 遷宮祭事が始められたのはそう古くなく
 奈良時代からである。
 
 もはや古代の言葉も日本語あるいは
 「ヤマト言葉」に紛れ込まれた時代である。
 「遷」とは「うつし」の語義である。
 
 同表音は上記の
 utu-si〔太陽-光る〕が係わっている。
 天照大神との漢字表記も
 同語に依っていることを前に説明した。
 
 「ウツシ→移し:遷」との解釈である。
 
 この utu-si は
 神武天皇の族類には親しい用語で、
 同族が奉祭する多神社〔奈良県田原本町〕の
 ご祭神を説明した平安時代の史料
 
 「多神社注進状」に「珍子聖津日霊尊」とある
 
 祭神名の「珍子」に転記されている。
 
 同語は「ウズコ」と訓まれるが、
 本来「ウズシ」である。
 
 「日霊」とあるように同名は
 「日(太陽)神」の称である。
 
 「ウズシ」はまた utu-si〔太陽-光る〕で
 utu と ud は同義の「太陽」を表わす。
 
 因みに後者は伊勢市内の地名「宇治」の祖語である。
 ともあれ「ウツシ」との太陽神の称は
 奈良時代においても定着していたと推測され、
 その理由によって人々の注目を集めて、
 祭事を主催し挙行する天皇への畏怖を
 高めるための大行事と成したのである。
 
  M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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