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第4章 邪馬台国の性格と卑弥呼(5)岩倉と高御座 [日本創世紀]

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(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《第4章 邪馬台国の性格と卑弥呼》

 (5)岩倉と高御座
  
  八本町の台地を地区の人々は 
 「岩倉」ということはすでに述べた。
 
 「イワクラ」の語源は
 「ヒラバラ:平原」と同様
 アズミ族の言葉に依っていて
 ia-kur〔岩-山〕である。
 
 岩倉である八本町地区内には小さいながら
 「岩倉岩下稲荷大明神」が置かれている。
 
 そこに「正一位」との表示もあるが、
 同称は京都市伏見区の稲荷大社を勧請あるいは
 その神社名に因むとの配慮であろう。
 
 稲荷大社の創始されたのは
 和銅四年(711年)のことで、
 卑弥呼の時代から大概500年も後のことである。
 
 しかし、同大社の境内奥に
 「お山」あるいは「小塚」と称する神域があり、
 和銅〔奈良時代〕よりかなり古い
 原初的聖地と考えられる。
 
 その元祖的信仰には「岩山」つまり
 スメル:sumeru山の神性がある。
 
 稲荷大社の創始には紀氏が係わっているが、
 この「紀」は「木」が元字で 
 「木氏」の本幹は「御木国」である。
 
 つまり、
 当地八本町の「岩倉」と同概念をなす。
 
 因みに sumeru を分化解釈すると、
 su は「白い、美しい」で、
 meru は maru と係わり「岩・石-山」で
 同語事体「白い美しい岩山」と
 背景に雪を冠いたヒマラヤ山がある。
 
 「ヒミコ」の語源をサンスクリット語の 
  hemeka〔黄金色の雪山〕と紹介したが、
 岩倉名もまたその「ヒミコ」名を傍証している。
 
 ところで上記 kur〔山〕には
 もう一つ「国」との語義がある。
 
 「稲荷大明神」の「稲荷:イナリ」は
 e-nir〔主・神殿〕の概念があり「祭司」に係わる。
 
 稲荷の「稲」は倭人の用語の呼称では
 「シナ〔tshj-nu〕」「稲-泥」〔泥稲〕つまり
 「水稲」を表わす。
 
 シナ大陸揚子江流域を支配した古代の国の名
 「楚」はその〔tshj〕に依り、
 そこが「水稲作」の地であることを示している。
 
 現在それを「イネ」と称しているのは
 アズミ族の用語で
 「穀物」を en というのに従っているからである。
 
 さて、この「岩倉」の意義は単純ではない。
 
 後世日本の社会制の大事な局面で
 天皇が新しく即位される際に上がられる
 「高御座:タカミクラ」と
 概念が重複してくるからである。
 
 「座は「ザ」が本来の呼称で「クラ」とは訓めない。
 
 アズミ族の用語でまた「岩、石」の語義である
 za が加味されているのである。
 
 それを「磐座」と言いうるのである。
 
 「タカミクラ」自体重要な背景がある。
 
 du-ga-mi[maha]-gur
 〔丘(壇)-邸宅-大きい-宗教儀式〕の音写で
 「宗教儀式のための大きな邸のある丘」を表し、
 この八本町の「聖所」である
 「岩倉」での実話が祖形となったとみられる。
 
 卑弥呼は「共立」されて「最高位」あるいは
 「主」の坐師となり、「聖所」に上り居住し、
 その職掌を担うこととなったのであり、
 「最高の祭司」となって
 宗教儀式の場へ上がったのである。
 
 古来天皇は最高の祭司として
 その祭儀を務めてこられている。
 
 現在天皇即位の重要祭事の一つである
 高御座に上がられる儀式に用いられる際の
 「御座」は八角形のお屋代が公座に設営されている。
 
 「台」は台地〔丘陵地〕にまた
 「お屋代」は「聖所:邸宅」に相当する。
 
 その「八角形」は八本町の「八」に通ずる。
 「八本は「ハチモト」と読め、
 pad-me-du〔となえる(呼ぶ)-神託-呪文〕で
 「神託のお告げを呼ぶ」で
 坐師の職掌を表わしている。
 
 そこが卑弥呼の「聖所:祭場」であった補足となる。
 
 余談として説明しておくと、
 「ヤシキ:屋敷」は e-sig 〔家-華麗な〕、また
 「ヤシロ:屋代」は e-sir 〔家-光る〕で
 ほとんど同義である。
 
  因みに、
 八本は現在「ハッポン」と呼称されているが、
 その理由は伊都国の人々の言葉で
 HPN が「インド」との語義で、
 インドのアーリア人系の居留地として
 jambu-dvipa〔邪馬台:インドの通称〕あるいは
 「有明〔アリアケ〕」名となっている
 ARIAKE の語音とも語義の共通する呼称である。
 
高御座
「高御座一般公開」の画像検索結果
 
 
 M.K記

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