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第2章 魏書倭人伝の諸国地理(9)邪馬台国への道程 [日本創世紀]

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(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪

 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《第2章 魏書倭人伝の諸国地理》
ー邪馬台国時代の国際ー
  
 (9)邪馬台国への道程
 倭人伝が記す帯方郡から投馬国までの行程は
 その記述を丁寧に読み込めば比較的に容易に
 理解できる。
 
 しかし、
 その投馬国から邪馬台国までは
 記述された行程のままに従うと明らかに
 実際の陸地の配置から逸脱してしまう。
 
 倭人伝は
 「南至山壹國女王之所都水行十日陸行一月」
 とある。
 
 ※図5 
  参考:魏志倭人伝の「水行十日陸行一月」
  出典:〔古代史獺祭〕
 
  魏志倭人伝(『三國志魏書東夷伝』より) 
  西晋 陳寿(233~297)撰。
 
 『三國志』は
 黄初元年(220)~太康元年(280)の
 三国時代の魏・屬・呉の歴史を記した史書。
 
 三國志 魏書 卷三十 東夷伝 倭人 
 原文+読み下し
 
 ここでその当該地を比定する前に
 考察しておかなければならない要件がある。
 
 (a) 傍国(属国)の「奴国」
 
 倭人伝では「女王国以北」にある傍国として
 次の諸国を記載する。
 
 斯馬国、巳百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、
 好古都国、不呼国、妲奴国、對蘇国、蘇奴国、
 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、
 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、鳥奴国、
 奴国
 
 そして最後に奴国とある。
 
 考察しなければならないのは、
 その最後の「奴国」である。
 
 この国名は<(6)奴国>で
 その所在地や国柄を
 明らかにした博多湾の奴国と同字である。
 
 この「奴国」を双方同じであるか
 別国とするかを決めなければならない。
 
 本書は結論と同じ国を重複して
 記載したと解釈する。
 
 (b) 彌奴国
 
 上記傍国諸国のすべての所在地を
 比定するのは困難である。
 
 しかし「弥奴国」の所在地は明白である。
 和名類聚抄に
 肥前国三根郡、また
 神埼郡三根郷とある
 「三根」名の地で、
 具体的には吉野ヶ里遺跡周辺と解釈される。
 
 「三根」「弥奴」は双方とも「ミネ」で、
 その語源はサンスクリット語の
 mena〔女子〕あるいは
 menā〔婦人〕を表す。
 
 遺跡の所在地称は現在「田手」で、
 遺跡の南端田手川沿いに
 田手神社も鎮座している。
 
 この二字は現在「タデ」と呼称されるが、
 本来は「デンシュ」あるいは「たんで」で、
 サンスクリット語の 
 tundava の転訛である。
 
 その語は英語の 
 dance と語源を同じくし、
 「踊り」「舞」を表す。
 
 この「舞」は
 「女子の舞子」を理由としている。
 
 その由縁は「巫女舞」で、
 考古学的に吉野ヶ里遺跡に遺る祭壇に
 係わっていると考える。
 
 巫女がいて、その祭壇において神に対し
 「舞」を献げたのであろう。
 
 因みに遺跡名の「吉野」を音読みすれば
 「キーノ」となり、
 サンスクリット語の
 gnā の音写で、
 「女神」ながら「后神」である。
 「巫女」は本来「神の妻」で
 あることが要件で、
 一度でも人間の妻となった者は
 その要員とはなり得ない。
 
 付言しておけば、
 卑弥呼もそのような女性で一生涯
 神に仕える「神妻(神妃)」で
 決して人の相手ではなかった。
 
 吉野ヶ里時代、
 紀元頃から5世紀頃までの
 同地の社会性は「長」なる者はさておき、
 生活の中心には巫女が坐して
 それぞれの社会を司っていたのである。
 
 「ミネ:彌奴」は
 「キーノ:神女」に相通じており、
 この遺跡地が
 弥奴国であったことは確実である。
 
 和名類聚抄の三根郡には郷名として
 「物部」を載せているが、
 当該地は遺跡の東方、現北茂安町物部に
 物部神社が鎮座するので同社周辺といえる。
 
 この「物部」は
 古代の雄族「物部氏」と
 用字が同じであるが全く関係がない。
 
 まず「板部」とされている
 「板:イタ」は
 古代から「占い」を用務としている
 「イタコ:板子」に依っている。
 
 板子は女子のみが務められる。
 
 男子はその用務の任にはない。
 
 その「イタ」はアズミ族の言葉で
 uzu〔占い師〕 が原語である。
 
 その語には
 「神の意向(神託)を人(々)に伝える」のが
 職能としてある。
 
 「物部」は「フッヘ」でおなじく
 pa-tu-ag〔呼ぶ-呪文-(神の)指図〕で、
 「神の命令(神託)を呼ぶ」との語義となる。
 
 同様の用法・背景による「物部」は
 高知県東部、
 徳島県に向かって流れる物部川沿いの
 「物部郷」である。
 
 同郷の伝統は「占い師」の里で知られる。
 
 また
 吉野ヶ里より東方鳥栖市姫方町あるいは
 福岡県小郡市の「姫社」との神社名の漢字
 「姫」は
 すでに詳説したように倭人の伝統に係わる
 「目を上(天)に向けている女人」形で
 「巫女」を表す。
 
 その訓み「ヒメ」はアズミ族の言葉で
 pa-me〔呼ぶ-神託〕の音写、語義で
 「物部」と同義である。
 
 (c) 斯馬国
 
 倭人伝が記す最初の傍国は
 この斯馬国である。
 
 そのことから
 同国の当時における重要さが覗われる。
 
 その比定地は
 現福岡県朝倉郡の夜須町区域である。
 夜須郡名は和名類聚抄
 〔平安時代初期〕に載るが、
 それより早く
 『日本書紀』仲哀天皇9年に
 「取得熊鷲、我心則安、故号其所安也」と
 「安」と表記して
 その地名由来を伝えている。
 
 だが、
 その名称起源は信じられない。
 
 確かにその町内には「安野」との字名はある。
 「安」は奴国の主体氏族
 アズミ族を「安曇」と
 表記するように「アス:es」で、
 語義が「家屋」であったが、
 この「安」「夜須」も同語を語源とする。
 
 夜須町は比較的博多湾に近く
 奴国の南側至近地で、
 同地に奴国の文化的影響があったはずだ。
 
 町内南部に「四三島」との地名がある。
 
 現在「しそしま」と称されているが、
 「ヨソシマ」であったともいえる。
 
 「ヨソ」は「ヤス」にして
 「安・夜須」と同根であろう。
 
 そしてこの「シマ」こそ
 倭人伝の国名「斯馬」の現
 在への遺存なのである。
 
 「ヨソシマ」はアズミ族の用語である
 es-za-mah〔家-人-高い〕の転訛である。
 
 語義は「高位の人の家」となる。
 
 「高位の人」は身体的なことではなく
 身分的に「上位の人」で、
 町内の地名でいう「町内」に相当する。 
 
 長者町内には「八並町内」という富豪が
 かつていたという伝承があり、
 その宅地跡があるという。
 
 「八並:ヤツナミ」はアズミ族の用語で
 es-za-min〔家-人-上位の〕あるいは
 es-min〔家-高い〕で「上位の人の家」で
 es-za-mah〔四三島〕と同義をなす。
 
 さらに長者町の北隣りの地名
 「三並」は
 mez(miz)-min〔主人-上位の〕で
 「長者」に同じである。
 
 また
 「安野:ヤスノ」は
  es-en〔家-主人〕で長者(高位者)の屋敷、
 シナ(中国)流に言えば「王宮」を指す。
 
 「ヤス:安」とはその長者屋敷を表し、
 「シマ:斯馬」は「長者」あるいは
 「主」を表わしている。
 
 倭人伝には「大人」との表記があるのも
 これらのza-mah〔人-大きい〕そのままである。
 
 倭人伝にはまた
 
 「其國本亦以男子爲王住七八十年
  倭國乱相攻伐暦年共立一女子爲王」と記し、
 
 往昔「男王」がいたと述べている。
 
 けだし、
 斯馬国とは
 その男王の居館(屋敷)のあった所である。
 
 因みに倭人の言葉「和(倭)語」においては
 si-maは「主」「首領」を表す用語である。
 
 これらの考察から
 現代の日本語の性格及び
 社会慣習がみえてくる。
 
 他人に対する謙譲語の
 「~さま:様」
 「~さん」はそれぞれ
 za-mah〔人-高位の:上位の人〕、
 za-ni(m)〔人-高いの:上位の人〕である。
 
 また
 「屋敷:ヤシキ」は 
 e-sig〔家-美しい〕で
 「華美な家」、
 「屋代:ヤシロ」は
 e-sir〔家-美しい〕で同義である。
 
 そして何はさておき
 「家」を「イエ」というのは
 e〔イェ〕の音写である。
 
 最後に和名類聚抄にはない
 現在の郡名「朝倉:アサクラ」だが、
 同語もe-zu-gua〔家-人-高い〕で
 「高位の人の家」で「シソシマ」と
 同義となる。
 M.K記
 

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