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第2章 魏書倭人伝の諸国地理(8)投馬国 [日本創世紀]

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(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪

 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《第2章 魏書倭人伝の諸国地理》
ー邪馬台国時代の国際ー
 
  (8)投馬国
 その
 「南方へ二十日行くと投馬国に着く」
 を考察すると、
 福津市あるいは古賀市辺りから
 真直ぐに南方へは陸地で、
 「水行」は不可能である。
 
 「南方への水行」とは
 同地から西方へ行くか
 東方へ 向かって関門海峡を迂回して
 周防灘〔豊予海峡〕へ
 出るかの二つしかないが、
 西方へ行っても南方へは舵は取れないし、
 倭人伝の記載の様からしてもあり得ない。
 
 やはり周防灘へ出てから
 南へ向かう航海としか
 妥当性はない。
 
 「二十日」についても
 不弥国からの地理をみると
 陸を南下しても「水行」できる様子は
 全くないし、
 その地域には
 すでに多くの人々が居住していて
 倭人伝が称する
 「傍国」の成立できる平地がかなりある。
 
 やはり豊予海峡から
 船で南方へ航行すると解釈すべきである。
 
 不弥国から船で
 二十日程度の距離として考慮すると、
 投馬国の当該地は
 大分県を越えた宮崎県域となる。
 
 その該当地は
 同県の延岡市から宮崎市に至る、
 おおまかにいうと宮崎平野である。
 
 その地方は倭人伝がいう
 「五萬餘戸」を養うのに十分な広さである。
 
 宮崎県の海岸〔日向灘〕、
 平野部域には「トミ」が付く地名は多くある。
 岡富、富美山、東海:とうみ(延岡市)、
 富高、富島(日向市)、
 藤見(トウミ:児湯郡都農町)、
 富田(児湯郡新富町)、
 国富町(東県方郡)、
 富吉(宮崎市)。
 
 そして極めつけは西都市の都萬神社及び
 周辺の「妻」名地称あるいは岡富である。
 
 これらの「トミ」は
 「投馬国」と倭人伝が記す
 「トーマ」と語源を同じくすると考える。
 
 その「トミ」ないし「トーマ」の
 語義あるいは語源は何か。
 
 この地は「(六)奴国」で登場させた
 アズミ族と祖地を同じくする人々の勢力地で、
 彼等の用語で 
 dum あるいは dim がその語源で
  「大工」が語義である。
 
 しかもこの地の「大工」は「船大工」で、
 ここは造船の地である。
 
 その状況を説明いるのが
 都萬神社周辺の地称である。
 
 神社名の「都萬」及び「妻」は
 dum の音写で「大工」であるが、
 「御船」名がある通り「船大工」である。
 
 同社を包囲するようにある地称
 「右松」がそれを説明している。
 
 まず
 「松:マツ」は
 ma-du〔船-造(作)る〕
 また「右:ミギ」は
 ma-gi〔船-木〕で「木船」であることから
 
 「ミギマツ」は「木船作り」となり、
 船大工の仕事を表す。
 
 紀元前後の外洋船は木造船しかない。
 
 次に「宮崎」を考えてみたい。
 
 同名は宮崎市神宮に鎮座する
 「宮崎神宮」に由来する。
 
 同神宮近辺には
 「船塚」「大工」といった地称もあるが、
 何といっても
 「松」が付された地名区域が多い。
 高松、松橋、老松、松山とある
 
 「松:マツ」は
 西都市の都萬神社の場合と同様
 ma-du〔船-作り〕の転訛である。
 
 宮崎神宮のご祭神の第一は神武天皇であり、
 『日本書紀』「神武東征」段にある
 「舟軍」の舟の造営に関係する。
 
 同市の南に位置する南郷町辺りには
 今でも古代に船材として使われた
 木材の原木
 「檍(もち)〔樫類〕」がある。
 
 同字は「檍原〔アワキハラ〕」で、
 現在阿波岐ヶ原の地称となっている。
 
 神宮名の「ミヤサキ:宮崎」は
 アズミ族の 
 ma-e-sag〔船-家-王〕で
 「王の屋船」である。
 
 神武天皇東征伝承及び
 宮崎神宮の神性に合致する呼称である。
  M.K記

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