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第三章 「十戒石」の九州南部から伊都国〔北九州〕への移動 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
 第四部 「十戒石」をイスラエル人は日本へ移転させた
 
 第三章 「十戒石」の九州南部から伊都国〔北九州〕への移動
 
  ガド族が西方から海路日本へ渡来させた
 「十戒石」は九州の西側を東シナ海から
 日本海へと移動された。
 
 (a)平石権現神社(串木野市羽島)と
  石船神社、鍋石神社(阿久根市折口)
  ※平石権現神社
     
 〇加世田「カセタ」KTsVT、ketsot 果て、端
     「カセダ」KhSYD、khasiyd 神を崇う者
 
 〇大浦(川辺郡大浦町)
  「大」の語義 GAD ガド族、
  GDVL、guado (形容詞)大きい 
  GDLH、gadlah 「大」(名詞形) 
 
  片浦(川辺郡笠沙町)
  「片」及び「上の門(大浦町)」の「門」は
  「カタ」「カド」で「大」の語義にして
  GAD の音写
 
 〇串木野市
  羽島「ハシマ」 
  HShM、hasheem イブルの神の御名、神の別称
 
  口之町「クチノ」
  KTsVNY、kitsony 端の、末端の
 
  平石権現神社(羽島)
  平石は「十戒」を刻んだ二枚の石板、
  「権現」は”ここに顕れた(渡来した)”
 
  太郎太郎祭:羽島崎神社の春祭の称
  「タロー」
  TVRh、torah 律法、神の指図〔特に十戒の法律〕
 
  荒川(羽島の東隣の地区名)
  荒河、荒皮とも書いた。
  荒皮「アラハ」
  ALH、aulohua 神
 
  串木野「クシキノ」
  KTs-KNF、katseh-kanat〔果て-果て〕果ての果て
 
 〇阿久根市
  折口「オリクチ」
  ARTs-KRSh、orets-ketseh〔地-果て〕果ての地
 
  石船神社(折口)
  「十戒を刻んだ二枚の石板を積載した船」を
  語っている。
 
  鍋石神社(折口)
  「ナベ:鍋」
  NAVA 案内船、「船に積載された石」
 
  ※「地の果て」との表記は「イザヤ書」が
   「海に 満てる者たち」が地の果ての「島々」に
   至っていると述べているのに対応する。
   「十戒石」は海路で移動して来た。
   その手段は船でしかない。
 
 (b)彼杵郡と田平町〔長崎県〕
 
 〇口之津町(高来町)
  「クチノ」
  KTsVNY、kitsony 端の、末端の
 
 〇彼杵郡・彼杵郷〔和名類聚抄〕
  「ソノキ」
  ZNV-KNF、zonou-kamof〔端-果て〕果ての端
 
 〇神浦(西彼杵郡)神が留まった浦
 
 〇大野郷(神浦内)
  「オウノ」
  AVN、aeun 石、”十戒の石板”
 
 〇「カド」(神浦大野郷の村落名)
  GAD、ガド族
 
 〇大浦町(長崎市)雄浦とも書いた
  「オウラ」
  AUR、oor 光〔「イザヤ書」第四九章一六〕
 
 〇田平町(北松浦郡)
  「タヒラ」
  THLH、tuehiluah 栄光、賛美、栄誉
  〔「イザヤ書」第四一章一〇〕
  「タピラ」 
  TPLH、tuapiah 祈り、祈祷、祈願
 
 〇平戸市・庇良島
  「ヒラト」「ヒラトー」
  PRYT、periyt 箇条、項目”十戒の十ヵ条”
 
 (c)伊都国(糸島市)の宮地嶽神社(神在)
 
  伊都国の「イト」の語義が「証拠」あるいは「証人」で
 あるとの由来についてはすでに紹介した。
 
 その原像が「祭壇」で「記念物・記念碑」で、
 それはまた「石塚」でイスラエル人の象徴とする
 証拠として築かれ続けられるものであった。
 
 その象徴である石塚が伊都国(糸島市)に築かれた。
 
 何しろ同地はガド族の居留地に始まったのだから。
 
 同市の神在にある丘陵地宮地丘の頂にある
 宮地嶽神社がその地である。
 
 すでにその神性はほとんど忘却された様子であるが、
 祭壇(石塚)の跡が残されている。
 
 同神社本殿などの基壇が石組で、
 一般神社の高床を支える支柱部分を占めている。
 
 つまり石壇の上に本殿が載ってるのである。
 
 それは明らかに自然石を組合わせた石塚である。
 
 その神性が忘れられた様子と述べたが、
 古代のいづれの時か、その石塚で奉祭されていた
 ご神体が他の地へ遷されてしまったことからである。
 
 しかし、
 その神社名「宮地」はそこが「宮所」との
 漢字の語義を示しているが、
 また「ミヤチ」はイブル語でMYTV、meytauの音写で
 「最高のもの」「最良のもの」を語義とする。
 
 この表記によって指し示すものは
 「(ヨシュアがガド族に渡した)十戒」以外にない。
 
 つまり「戒めと律法」である。
 
 地名「神在」はここに伊都国の人々(ガド族)の
 奉るご神体が安置されていたとの遺称で」ある。
 
 ※宮地嶽神社
 
 (d)宮地嶽嶽神社(福津市宮司<旧宗像郡津屋崎町宮司>)
 
 ◎宮地「ミヤチ」
  (Heb.),מֶיתַֻ,MYTV,meytau 最高のもの、最良のもの
 
  伊都国(糸島市神在)の宮地嶽神社に奉祭されていた
 ご神体がいつのことかまた何らかの理由により
 当地に遷されたのである。
 
  ご祭神のうちに勝村大神、勝頼大神
 
 『万葉集』963、冬11月
 大伴坂上郎女師の家を発ちて道に上がり、
 筑前国の宗像郡を名児山といふ越ゆる時に作る歌一首
 
  大汝少彦名の神こそば
  名付けそめけめ名のみを
  名児山と負うひて
  我が恋の千重の一重も慰めなくに
 
 〇名児「ナコ」
  NKV nakau 穴、孔
 
 ◎契約の奥宮は本殿の裏山にあり、
  洞穴内に祭祀されている。
  よって「名児山」とは「穴のあるやま」の
  意義であり宮地嶽(山名)を指す。
  また同歌の「大汝少彦名」は当社の祭神となる。
 
 〇勝村大神
  「勝」KTV ketau 文字、字、筆跡
  「村」MIRA miara 洞窟、洞穴
  「カツムラ」KTV- MIRA 〔洞窟-文字(筆跡)〕
  文字の洞窟
  ※文字が書かれたものを納めた洞窟
 
 〇勝頼大神
  「頼」RAYH reayi 証し、証拠
  「カツライ」KTV-RAYH ketau-reayi 
  〔文字(筆跡)-証し(契約)〕
  証しの文字
  ※証し(契約)<神と人々との>が書かれたものを
   納めた洞窟
 
 この宮地嶽神社には「最高のもの」が奉祭された。
 その安置の神坐が奥宮たる洞窟であった。
 「最高のもの」とは 
 イスラエルの「十戒が書かれた石板」である。
M.K記
連絡先:090-2485-7908 
 

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