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第十六章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・月氏とシルクロード:久伊豆神社とお獅子様 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
《第十六章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・
月氏とシルクロード:久伊豆神社とお獅子様
 
  久伊豆神社は埼玉県に特有な神社である。
 
 県の東部江戸川と荒川の間、
 南は草加市、八潮市から
 北は加須市、行田市まで
 東側の鹿取神社の占める地域と
 西側の大宮市などの
 氷川神社が占める地域に
 挟まれて83社が散在している。
 
 特に
  岩槻市9社
  越谷市に8社と集中している。
 
 その祭神は相違うことなく
  大己貴神を主祭神としている。
 
  このうち最も確かで
 古い創起伝承を持っのは
 岩槻市宮町の神社である。
 
 由緒書によると
 
 「約1300年前
  欽明天皇(第29代〈539~571〉)の御代
  出雲族土師(はじ)氏が
   東国移動の際にこの地に
  大国主命を出雲国より勧請し、
  社殿を建立したのが始まり」
 
  だとされている。
 
 よって、
 久伊豆神社は
 出雲より勧請されたことが明らかとなる。
 
 その奉祭氏族が「はじ氏」だという。
 同族には地中海東岸の影があると。
 
 しかも
 因幡国風土記逸文、
  『古事記』に登場する
 「白(素)兎」の仲間である。
 
 なぜならば、
 
 「ハジ」は
 ヘブライ語の「野兎」を表わす
 HAZ(hoz)の音写であるからである。
 
 島根県松江市名は
 実はこの「うさぎ」の意味を持っている。
 
 アイルランド語では
 日本のことを 
 Seapáine(海松) といい、
 「松江」と理解できる。
 
 しかし、
 この呼称はカナンが
 母国でイベリア半島を経て
 フェニキア語 
 Sephan(兎)が移入されたものである。
 
 紀元前200年頃
 イベリア半島は
 フェニキア語で
 ispania といわれ、
 
 ラテン語で 
 Hispania と表記されるようになった。
 
 現在の スペイン Spain はだから
 元来「兎」である。
 
 フェニキア語はカナン語であり、
 ヘブライ語の母体になっている
 原語であるから
 イスラエル人に依って
 日本に持ってこられたとしても
 おかしくはない。
 
 1999年代初め
 西欧のある新聞記者が日本の家屋は
 
 「うさぎ小屋」
 
 だと評したが、
 
 アイルランドの 
 Seapáine(日本)を知っていて
 発想したものであろう。
 
 たわいない遊びである。
 
 そのうさぎ小屋(松江)を愛し、
 長い間滞在していたのが
 アイルランド人を父とし、
 ギリシア人を母とする
 アルカディア・ハーン(小泉八雲)
 であるのだから、
 その運命の不思議を感じざるを得ない。
 
 このような背景によって
 「白兎」が
 地中海東岸の文化を素地として
 いることが見えてくる。
 
 さて、
 「久伊豆」とは
 何を表わしているのだろうか。
 
 一般的には
 「ヒサイズ」と呼ばれているが、
 「クイズ」とする神社もある。
 
 その本義を知る資料が出雲にある。
 
 聖地安来の南方伯太町と広瀬町が
  鳥取県境で接する所
 「櫃」の転訛した「比田」で
 比田と仁多町との間の峠を
 「久比須」と言った。
 
 「久伊豆」はこの
 「久比須」と同じである。
 
 即ち安来市吉佐に鎮座する名と同じく
 「神の箱」を意味する 
 KPhSH(箱) が祖語である。
 
 久伊豆神社は
 土師氏(天穂日命の後裔)によって
  「神の箱」信仰として
 埼玉の地に定着されたもので、
 「クイズ」が本名と考える。
 
 因みに
 支布佐神社の祭神は天穂日命である。
 
 「延喜式」神名帳武蔵国埼玉郡に
 玉敷神社が記載されている。
 
 主祭神は大己貴命である。
 
 江戸期までは
 久伊豆大明神とも言ったが、
 明治になって現神社名に改称した。
 
 式内社とすることに
 疑問を呈する向きもあるが、
 
 以下の説明により
 この神社に間違いないことが
 明らかになる。
 
 一連の系列社の中で
 この神社の方が異称を持っている。
 
 「玉敷」とは何かであるが、
 これは「雌獅子」を表わしている。
 
 サンスクリット語の 
 dome-Ginga(雌-獅子)を
 転訛させたもので、
 ガド族の重要な形容である。
 
 「安来:十戒神社と祈り」
 
 に紹介した、
 
 モーセが死ぬ前に述べたいう
  申命記33章の
 
 「ガドは雌獅子のように待ち伏せ、
  獲物の腕や頭を引き裂く」
 
 とある詩句に対応しているのである。
 
 獅子はライオンで狩りをするのは
 雌ライオンだけという事実は
 よく知られているところで、
 その勇猛さをガドの勇壮さに例えて
 祝福の詩としたものである。
 
 騎西町を中心とする
 周辺の久伊豆神社の祭礼には
 玉敷神社から
 「お獅子様」を借りようとして
 氏子の家々に縁側先から
 
 「アリャリャーイ」とか
 「アリリ」など
 
 掛け声をあげながら家の中に入って
 悪魔払いのお祓いを行って
 玄関から退出するという。
 
 現在
 お獅子様が崩れてしまったので櫃、
 つまり
 箱に入れたものを
 担いで行くようになっており、
 「クイズ」の本義が
 行われているともいえる。
 
 また、
 多くの社では
 獅子舞が奉納されており、
 お獅子様が祭礼の中心に置かれている。
 
 上記の掛け声は
 ヘブライ語の 
   ARYH-ARA が原語で
 ライオンを、
  ARYH-ARA-H
 (アリャリャーイ)は
  雌獅子を意味する。
 
 「雌獅子様だあ」
 
 と言っていることになる。
 
 鎮座地名「騎西」は
 安来市の「吉佐」を
 遷したものとみられ、
 「箱」の語義である。
 
 同社の創立時期は不明だが、
 岩槻市宮町の神社同様
 かなり古いものとみられる。
 
 ここで、
 その申命記が
 「モーセ五書」に
 入っている伝書であることから
 『旧約聖書』が
  日本へ渡っていたということが
 推測される。
 
 申命記に載る詩句によって
 祭司が行われていることは
 明らかに事実である。
 
 それも「虎の巻」で
 考えたように巻物である。
 
 「モーセ五書」はまた 
 KhMSh(khumesh)とも称されるが、
 玉敷神社境内の摂社宮目神社は
 その音写名である。
 
 因みに
 お獅子様、神様の
 「さま」あるいは「さん」は
 ヘブライ語の
 「名前、名称」を表わす 
 SM(sem)と考える。
 
 越谷市の久伊豆神社は
 平安末期の創建と伝えられている。
 
 越谷郷は
 関東の武士団
  千葉氏系図に現れる地名である。
 
 平安時代の終わり
 武蔵七党いわれた武士団
  私市党や野与党に同社は支えられた。
 
 そのうちの武将に
 
  「古志賀谷太郎」
 
 の名があり、
 平安時代から
  「コシガヤ」があったことが解る。
 
 同社は現在
 当事者さえその意味を理解していない。
 
 「さんじんさん」の呼称で
 親しまれてきたという。
 
 「コシガヤ」と
 「サンジン」
 を検討すると、
 
 前者が「絹、絹の衣服」、
 後者が「蚕神」であることが解る。
 
 つまり、
  サンスクリット語の
 kauseya(絹、絹の衣服)、 
 kausika(絹、絹の布帛・衣服)が
  その祖語である。
 
 特にkausikaは
 漢語への音写翻訳で
 
 「哥尸迦衣」
 
 と表記されていることからして
 明らかである。
 
 養蚕業が廃れてしまった同地では、
 現在
 「蚕神さん」が
 忘れ去られるのも無理はない。
 
 越谷は
 養蚕が行われていた地域であったのである。
 
 同社の鎮座する東方に
 花田地区があるが、
 これは「カハタ」で
  「桑畑」が原義であっただろう。
 
 サンスクリット語による
  「コシガヤ」の定着は
 平安時代であったかもしれないが、
 養蚕は
 それよりも古くから行われていただろう。
 
 越ヶ谷地区の東方には
 
  第10章「朝鮮と故射」で紹介した
 
 「松明まつり」の
 
  川崎神社の鎮座する北川崎がある。
 
 この地方に倭人系統の人々が定着し、
 彼らの得意とする稲作と養蚕による
 開発を進めていたのである。
 
 そして6世紀に渡来し、
 岩槻市の久伊豆神社に拠点を構えた
 土師氏に縁のあるイスラエル人が
 流通と加工の面で活躍し始めたのである。
 
 生糸加工業者は
 「玉」を意味する
 ヘブライ語の
 KVYL(koya)・「コ―ヤ」を
 この一帯の地名として
 呼んでいたのではないかと推測される。
 
 この遺称が
 越谷市の西方岩槻市に近い
 「北越谷」である。
 
  その地域は
  現在よりかなり広い範囲であったとされる。
 
 ゴーヤ(後谷)は
 平安時代になってかその後か
 サンスクリット語の
 kāya(身体) の
 意味と理解されるようになり、
 市内の蒲生の久伊豆神社の境内社
 「体守護社」となっている。
 
 玉敷神社の神職は代々河野氏であった。
 
 この氏姓も「コーヤ」であり、
 後谷と事情を同じくするだろう。
 
 「タマシキ」は
 上記の通り雌獅子だが、
 漢字の玉は 
 KVDL(kogl) であり、
  「敷」は「しく」で
  「布く(布を伸ばす)」あるいは
  「ひく」とすれば
  「糸をたぐる」の意味であり、
 
 繭玉より生糸を紡いで
 絹帛にすることや
 加工(染色など)する
 語義が含まれているとみられる。
 
 「コーヤ」は現在染色業者の名称で
 「紺屋」と表記されている。
 
 その起源は
 秦氏の生糸加工技術であったと思われる。
 
 紺屋の業界では「地玉」の用語があり、
 その土地で生産された絹織物や
  その加工品の事を言った。
 
 埼玉県では
 江戸時代に江戸へ大量に売られた
 紺のユカタが
 「地玉」として知られている。
 
 「紺」の伝統は
 律令時代までその記録が遡る。
 
 多摩地方を含めた武蔵で
 大量の絹製品が生産されていた様子は
 「延喜式」の武蔵国に定められた
 「調」の内容を見れば明瞭である。
 
 それには
 
 「縑帛60疋、紺60疋、黄帛100疋、掾帛25疋、
  紺布90端、縲布50端、黄布40端、絁、布」
 
  とある。
 
 縑帛から掾帛までが絹で、
 以下は綿布である。
 
 東京都調布市を中心とする辺りは
 木綿の産地で、
 
 第11章の「大江戸:塩土老翁の鎮座地」
  で触れた。
 
 調は古代律令時代の
 租庸調の絹、絁、糸、綿、布の繊維製品、
 その他の物品を貢献する制度であった。
 
 この調を名称とする調(つき)神社が
 越谷市、岩槻市に近い
 浦和市岸町に鎮座している。
 
 「延喜式」神名帳足立郡に同名で記載され、
 「調宮縁起」によれば
 崇神天皇の勅命により創建されたという。
 
 調の制度は後の制度であるから、
 それが正しいとすれば他の呼称か、
 屯倉でない他の理由で
 定礎されたものであろう。
 
 同社は調を「ツキ」を訓み、
 「月の宮さま」としても親しまれている。
 
 その始まりは中世として考られている。
 
 また「うさぎの宮」として知られ、
 鳥居や狛犬がない。
 
 そこで一つの推論が成り立つ。
 
 調は繊維製品を総括役目であること、
 
 「月」は「三日月」、
 
 「うさぎ」は
 稲羽の白兎に通じることを勘案すると
 同社の奉祭は
 土師氏が関係していたとみられる。
 
 土師氏が6世紀に
  出雲から渡来したいう
 確かな伝承を持つ
 岩槻市の久伊豆神社も近く
 その可能性は大きい。 
 
 うさぎは HSGKH(hazngokhe) で
  「監督」の意味であり、
 調を担当する者に適しい。
 
 越谷市川柳町と草加市青柳にも
 久伊豆神社は鎮座し、
 「柳」はその信仰に関係ありそうである。
 
 柳は「ヤギ」あるいは「ヤキ」であり、
 
 ヘブライ語の「月」を表わす
 YRKh(yarkh) に依拠しているとみられる。
 
 月である「三日月」は
 ヘブライ人には切り離せない象徴である。
 
 「ヤギ」は
 八潮市の柳之宮、
 三郷市の八木郷、
 江戸川を越えた
 千葉県流山市の八木と広がっている。
 
 流山市の八木の内の長崎には
 焼津市小川遺跡から出土した木簡に、
 蘇民将来名と共に書かれていた
 天形星皇(王)を祀る
 天形星神社が鎮座している。
 
 同社を奉祭する八木の地域には
 戸部姓の方が多く住んでいる。
 
 それはヘブライ語の「祈り」の意味である
 TFYLH(thile)に由来した呼称である。
 
 市野谷、平井もその関連名であろう。
 
 市野名は
 兵庫県揖保郡新宮町に市野保とある。
 
 また
 赤穂郡上郡の八保神社名も
 YRKh であることを紹介した。
 
 八潮市柳之宮には隣りには
 越谷市の北後谷に対する南後谷もあり、
 後述することにする。
 
 このように久伊豆神社は
 安来市を聖地とする人々の
 信仰の対象である。
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908

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