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第十六章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・月氏とシルクロード:伊和神(ヤハウェ神)(創世記) [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第十六章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・
月氏とシルクロード:伊和神(ヤハウェ神)(創世記)
 
  「延喜式」神名帳の播磨国宍粟郡に
 「伊和坐大名持御魂神社名神大」が
 記載されている。
 
 また
 明石郡及び赤穂郡に
 伊和都比売神社が載る。
 
 この「伊和」は播磨国特有な神社名である。
 
 また
 播磨国風土記には伊和大神が数多く登場し、
 その広がりが顕著である。
 
 伊和とは何を示しているのか。
 
 神名帳の神社名からすると
 大己貴神をいっているようである。
 
 だが、
  第12章大国主神と大物主神
 などで追及した同神には
 伊和神の影はうかがえなかった。
 
 伊和大神とは
 ユダヤ教の父神ヤハウェ神である。
 
 本節から
 伊和神がヤハウェ神であることを
 実証する。
 
 まず、
  播磨国風土記にみられる伊和大神及び
 伊和名の様子を纏めてみる。
 
 〇飾磨郡
 
 (1)英賀里 伊和大神の御子、
       阿賀比古・阿賀比売二柱の神
 
 (2)伊和里 右、伊和部と號くるは、
         積幡(しさわ)郡の伊和君等が族、
         到来たりて此に居りき。
               故、伊和部と號く。
 
 (3)貽和(いわ)里
 
 〇揖保郡
 
 (1)香山里 伊和大神
 
 (2)阿豆村 伊和大神
 
 (3)(伊勢野) 伊和大神の御子、              伊勢都比古命・伊勢都比売命
 
 (4)美奈志川 伊和大神の御子、
        伊龍比古と妹と伊龍比売命の
        二柱の神
 
 〇宍禾(しさわ)郡
 
 (1)宍禾と號くる所以は、伊和大神(略)。
 
 (2)安師里 伊和大神
 
 (3)石作里 本の名は伊和なり
 
 (4)阿和賀山 伊和大神の妹、阿和加比売命
 
 (5)波加村 伊和大神
 
 (6)伊和村 本の名は神酒(みき)なり
 
 〇神前(かむさき)郡
 
 (1)神前とする所以は伊和大神の御子、
   建敷命、神前山に存す
 
 (2)糠岡(ぬかおか) 伊和大神
 
 「延喜式」神名帳に載る
  伊和坐大名持御魂神社は現在に
  宍粟郡一宮町須行名に鎮座する
 伊和神社に該当する。
 
 「宍粟郡」は風土記の「宍禾郡」から
 転移したものである。
 
 この郡名の由来について風土記は
 
 「宍禾と號くる所以は、
  伊和の大神、
  国作り堅め了へまして後、
  山川谷尾を堺ひに、
  巡り行でましし時、大きな鹿、
  己が舌を出して、
  矢田の村に遇へりき。
 
  爾に、刺(の)りたまひしく、
  『矢は彼の舌にのりたまひき。』、
  故、宍禾の郡と號け、
  村の名を矢田の村と號く」
 
 との挿話を記している。
 
 しかし、その理由は別に隠されている。
 
 ただ、
 ここで確認できることは
 「絹と地名分布」で
 京都市亀岡市の
 「矢田」を「シタ」であると述べたが、
 ここの矢田が
 「舌(した)」であることを示しており
 参考となる。
 
 郡名について考察すると、
 「宍」は本来「肉」の意味で
 「シシ」と読まれるが、
 島根県宍道湖の例のように
 「シン」ないし「シニ」
 とも読まれている。
 
 「禾」は「茎にまだある穀類」を
 「粟」は「殻にまだある穀類」をいう。
 
 「宍禾」は「シネカ」、
 「宍粟」は「シシアワ」から
 「シサワ」となる。
 
 「シネカ」は
 
  第11章の「稲荷:黄金山信仰」で
 解釈したように
 「イネカ・稲荷あるいは稲架」であり、
 
 風土記の宍禾郡に載る
 伊奈加川の名称となる。
 
 その川名の説明では
 「いななく馬」があったからとしているが、
 
 これは「秦」を表わしたものである。
 「伊奈加」をもっと短絡的に考えると
 ヘブライ語の
 「巨大、大人、巨人」を表わす。
 
 INK の音写ともみられる。
 
 「大」はガド族名に係わる。
 
 また
 
 「志摩のダンダラボーシと天白社」
 
 で詳説するように
 「大人」伝説に結びつく。
 
 播磨国風土記の
 託賀(たか)郡の地名由来に
 登場する「大人」である。
 
 つまり宍粟と秦を崩した名称と考える。
 
 ここは秦氏の勢力が固めた地方なのである。
 
 秦氏との関係では
 すでに
 赤穂市坂越町にある大避神社を紹介したが、
 播磨国のこの地域に
 現在30社からなる同名社が鎮座している。
 
 同社の由緒について
 「播磨鑑」による伝承では
 皇極2年(643年)
 秦河勝が蘇我入鹿の難を避けるため
 難波を船出して逃れ生島に辿り着いたので、
 坂越浦の里人は新殿を建てて
 奉仕したという。
 
 秦河勝は
 京都府太秦の大酒神社(広隆寺)の
 建造などに
 活躍した聖徳太子の寵臣であった。
 
 その時代は7世紀の中頃である。
 
 弓月君が百済から渡来したのが
 応神天皇の時、
 秦造酒が太秦に秦氏の一族を結集し、
 また養蚕業の振興に乗り出すこととなったのは
 雄略天皇の時である。
 
 それらの歴史を考慮すると、
 秦河勝が坂越に逃れて来たのは
 ここにすでに同族の勢力が
 確固とした地盤を築いていたからと
 考えられる。
 
 伊奈加川は
  一宮町の南山崎町の菅理川に
 比定されている。
 
 この川は西方から流れ揖保川に合流するが、
 同様に
 北西から流れてくる川に伊沢川がある。
 
 これは風土記の都太川で、
 「トブト」で
 ダビデ DVD の訛ったものらしい。
 
 というのも、
 その川の北には
 伊加麻川が風土記に載っているが、
 これはヤコブ YIKB の訛である。
 
 それらの北に位置するのが
 伊和神社の鎮座する石作里であった。
 
 この里名はイサク YTsHK の音写である。
 
 石作里について風土記は
 「本の名は伊和なり」と記している。
 
 風土記が同郡にあるという伊和村は
 この伊作里内の村とされている。
 
 風土記飾磨郡のうちにある伊和里は
 風土記に前記のごとく述べており、
 この一宮町の石作里から
 その部族が移ったと言っている。
 
 現在の姫路市の西南部に当たり、
 『和名類聚抄』には「伊和郷」、
 近世まで岩郷と表記されていた。
 
 貽和里名も「伊和」である。
 
 『出エジプト記』で
 モーセがヤハウェ神から授かった律法、
 いわゆる「十戒」のうちには、
 その第三に
 
 「あなたは、あなたの神、
  主の名をみだりに唱えてはならない」
 
 との掟がある。
 
 そのため、
 ヤハウェ神の別称として作られ、
 一般に通称されている 
 YH(yeh) が
 「伊和」の祖語である。
 
 ここは明らかに
 イスラエル人の里郷なのである。
 
 宍粟郡の南は現在揖保郡である。
 
 そこに新宮町があるが、
 この「新宮」は
 「三日月神の宮」の意味がある。
 
 町内に市野保があるが、
 これは「シン」に同じで、
 秦の祖語アブラ(ハ)ムが
 メソポタミアの
 カルディアのウルで信仰していた
 アッカド語の
 三日月神 SIN を表わした町名である。
 
 町内の能地はヘブライ語の
 「統領あるいは総裁」、
 多分族長を表わす 
 NSYA(nosi) を、
 芝田(こげた)の「コゲ」は「玉」の 
 KHGL(kvgl) に依るもので、
 実際は秦氏の養蚕に係わる繭玉の意である。
 
 新宮町の北東の宍粟郡安富町は
 安師村と富栖村が合併した町名だが、
 安師里は風土記にも載り、
 
 『和名類聚抄』に「安志郷」、
 訓を「アナシ」としている。
 
 またの呼称は「アンジ」である。
 
 この表音はアッカド語に由来し、
 同じく「三日月神」を表わす。
 
 Sin はアッカード語において 
 en-zi(神-月)から
 en-si、si-en と変化したもので、
 en-zi(アンジ)、en-si(アンシ)の
 音写となっているのである。
 
 播磨にも神崎郡香寺町に
 矢田部や吉備津神社(中寺)などがあるように
 ヤーダヴァ族の影響があったことは
 間違いなく、
 メソポタミアを祖地とする
 氏族が考えられ、
 アッカド語の存在は不思議ではない。
 
 新宮町の西側は佐用郡三日月町である。
 
 新宮町の西側には
 風土記に載る栗栖里があった。
 
 和名類聚抄に栗栖郷とあり、
 訓を「久流須」としている。
 
 現在そこに栗町、また
 角亀、角の鼻があることから
 この祖語が 
 kulja であることが解る。
 
 角ではあるが、
 三日月を表わす用語である。
 
 その西方には上月町もあり、
 ここが
 月神信仰の地であることを示している。
 
 「新」は「秦」にして 
 Sin である。
 
 それらの町の南は赤穂郡上郡町となる。
 
 同町八保に八保神社が鎮座するが、
 同神社名も
 ヘブライ語の「月」表わすを 
 YRKh(yarh) の音写である。 
 
 町名の元となっている高嶺神社が
 山野里に二社鎮座する。
 
 この町名、神社名の「コウリ」は
 ヘブライ語の「波、洪水」を意味する
 KVVALAYE(khavalye) に依拠し、
 「コウレイ」「カワラ」でもある。
 
 ヤハウェ神は
 水の神で堤防を築く神である。
 
 神崎郡に香寺町があるが、
 香呂村と中寺村が合併した町で、
 香呂が同じ祖語を持つ。
 
 香呂では洪水に悩まされた記録がある。
 
 町内の岩部は
 風土記に的部(いくはべ)里があり、
 その遺称地と考えられている。
 
 「イクハ」は YIKB であっただろう。
 
 江戸期の
 「いゆわべ」の道標も残されており、
 伊和神名であることをうかがわせている。
 
 さらに北上した氷上町には
 香良地区があり、
 加和良神社が鎮座している。
 
 この「カワラ」は「瓦」とも表記され、
 すでに述べた
 尼崎市の伊佐具神社の鎮座する
 上坂部の東北側の
 瓦宮の名称となっている。
 
 藻川の管理に苦心した所であろう。
 
 上郡町には大避神社(上郡など三か所)、
 大酒神社(大枝新)が鎮座し、
 
 また「族長」を表わす 
 MSYA(musi) 名の野桑神社(野桑)が鎮座する。
 
 一宮町の伊和神社の神職は阿保氏といった。
 
 この「アボ」を
 「牛頭」と解釈するのが最適と考える。
 
 つまり
 アラム語の「牛頭」を表わす 
 alp で、
 
 ウガリッド語、
 ギリシャ語、
 ラテン語になって
 
  "A" となった文字の呼称でもある。
 
 ヘブライ語では
 「父」を表わす AB(aba) もあるが、
 「父」はヤハウェ神自身を指し、
 氏族名とするには
 やはりおこがましいであろう。
 
 父 AB は
 新約聖書になるとより鮮明となる。
 
 例えば「マルコによる福音書」
 第14章36では
 
  「父よ」といって呼びかけるが、
  これが abba! と表記されている。
 
 この阿保氏と同じ名称を持つのが
 風土記飾磨郡に
 「阿保里」と載る姫路市阿保である。
 
 阿保氏とは
 弓月君のクルジャ(牛角)と同義で
 秦氏の別称である。
 
 風土記に同じく載る
 英賀里は
 サンスクリット語の
 agha/agua で「水」名である。
 
 姫路市飾磨区の英賀がその地で
 英賀神社も鎮座する。
 
 「伊和大神の御子、
  阿賀比古、阿賀比売二柱の神」
 
 は秦氏の一族の名であろう。
 
 赤穂市坂越の大避神社の地方から、
 
 鎌倉時代になって
 寺田氏、飽間氏が現れるが、
 寺田は ZYYD で「絹」名であり、
 
 「アクマ」は
  ギリシャ語で akve 、
  ドイツ語で Aguā 、
  セム語(アラム語)で aquba 
 
 となる「水」に由来する。
 
 エジプトのシナイ半島と
 アラビアとの間のアカバ湾名となっている。
 
 また前述した
 サンスクリット語の 
 aqha/aqua も同祖語である。
 
 赤穂市名は
 これらの「水」名に由来する。
 
 上郡町の赤松を本拠とした赤松氏も
 これらの「水」に係わる氏族名であろう。
 
 風土記の飾磨郡に因達里が載る。
 
 息長帯比売命の
 「韓国を平(ことむ)けむ」とする
 伝承と共に
 
 「伊太代(いだて)」の訓を
 風土記は記している。
 
 『和名類聚抄』にも
 「伊達郷」を
 「以太知」の訓で載せている。
 
 ここの「インダ」は
 ヘブライ語の 
 AYND(ind) の音写で
 「波、洪水」を
 表わす用語に依るものと考えられる。
 
 ただし、
 「インダツ」
 「イダテ」
 となっている理由は他にあり後述する。
 
 次に揖保郡名について考える。
 
 揖保川は一宮町の北辺から流れ出し、
 伊和神社の西側を流れ、
 御津町東境を瀬戸内海へ入る。
 
 御津町の碇岩にも
 神名帳の伊和都比売神社に比定される
 伊和神社が鎮座しているが、
 そこが河口である。
 
 「揖保」の訓について
 日本古典文学大系は
 「いひぼ」と読ませている。
 
 『和名類聚抄』の郡名には「伊比保」、
 また「伊比奉」とする版本もある。
 
 「揖」は
 大漢和辞典によると「イフ」であり、
 「イフボ」あるいは「イフボウ」となり、
 これは明らか 
 YHWH の表音に類似する。
 
 実際は
 ヘブライ語の「言う、述べる」の
 IVH の三人称現在形変化の 
 YHVH の音写で
 「そは言明する」
 伊和神はヤハウェ神にして、
 播磨はイスラエル人の里郷である。
  
M.K記
連絡先:090-2485-7908

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