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第十四章 牛頭と鹿頭:諏訪大社の「御頭」 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]


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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第十四章 牛頭と鹿頭:諏訪大社の「御頭」
  第12章では
 「三輪氏」をなぜ「神氏」と表記するのか
 触れなかったが、
 その理由が本章で明らかになる。
 
 また
 大国主命の別称にある
 八千矛神あるいは葦原志許男神に
 ついての解釈をここで行う。
 
 さらに
 メソポタミアを起源とする
 祭官「祝」と祝祭に欠かせない
 牡牛が鹿になっている。
 
 その経緯を推察し、
 諏訪神の性格と出雲との関係を明らかにする。
 
 諏訪大社上社の祭事のうち、
 最も重要な行事は
 例年4月15日に行われる御頭祭である。
 
 同祭は上社前宮の吹き通しの建物十間廊で
 開催されるが、
 その最大の特徴は
 鹿頭が神饌と共に供えられることである。
 
 江戸時代の紀行家菅江真澄の
 「すわのうみ」には、
 75の鹿頭が
 そこには供犠されていたと書かれている。
 
 それらを俎上に載せて供えるのが
 古式であったという。
 
 同社の祖神である
 漏矢神社第12でも触れたが「鹿」を表わす。
 
 サンスクリット語の 
 mṛja がその祖語で、
 「森を歩き回る」を意味し、
 その同類語 mṛga は「森の獣」で
 特に「鹿」を表わす。
 
 長野県の諏訪郡に接する
 伊那郡名は ena(enea) の音写で
 同じく「鹿」の意味である。
 
 日本武尊の東征の際、
 神奈川県の足柄辺りや信濃で白鹿を
 退治したとの物語が語られているが、
 
 これらは
 東国の古代にあった鹿に対する
 信仰者の集団の象徴で、
 洩矢神の影響があった人々と
 考えることができる。
 
 御頭祭には「諏訪大明神画詞」が
 
 「禽獣ノ高モリ魚類ノ調味、美ヲ尽ス」
 
 と述べており、
 
 鹿頭のほか、江戸時代の史料によれば、
 猪頭のほか、鶴・雁の頭、鯉などの
 水産物が供えられたが、
 特に鹿肉も大量に供犠された。
 
 同社には「鹿食免」御幣や
 「鹿食箸」があり鹿との係わりが深い。
 
 諏訪神社の神職は「風の祝」と
 宣伝されたように祝の官として
 よく知られた。
 
 「ハフリ」ないし「ホフリ」は
 
 メソポタミアを起源とする祭官であった。
 
 その旧石器時代のムレイビト遺跡や
 新石器時代のケルメで、
 デレ遺跡、ネムリク遺跡に
 牛頭(牡牛の角)を掲げた
 痕跡が残っており、
 アナトリアのチャタル・フユク遺跡からは
 大量の牛頭の像型が発見された。
 
 それらを基盤として牛頭(牛角)が
 シュメルなどのメソポタミアの
 ペルシャ湾岸に近い文明
 (エリドゥなど)に影響を
 与えたばかりでなく、
 
 ヨーロッパへも波及し、
 クレタ、ケルト、ゲルマンの祖語
 (シュメル語で galam-am:野牡牛の階段<角>)
 であるとの考察を本書は展開した。
 
 「ハフリ」は
 メソポタミアから東方へも伝授され、
 インドのバラモン教の祝祭に
 重要な役割を負っており、
 ヴァーダ(教典)の初期の支配的最高神
 インドラ神は「牡牛」である。
 
 そして日本においても、
 古代に牛祝祭が盛んに
 行われていた事実あり、
 保食神や登由宇気神の「ウケ」は
 サンスクリット語の転訛による
 牡牛がその語源で
 「神饌」に
 その意味が転換されていることを
 紹介した。
 
 奈良時代末から平安時代のかけ
 牛馬を屠殺する祝祭は
 時の政府により
 禁止された様子も紹介したが、
 諏訪大社は牛を鹿に換えて
 その祝祭(御射山祭)の
 伝統を守っていたのである。
 
 洩矢神を祖神として奉祭する
 守矢氏の家紋は
 
 「丸に十字㊉」で
 シュメルでは羊にその初源を持つが
 「牧者」を意味する象形で文字で、
 楔形文字としても使われ、
 メソポタミアからの伝統を
 継承したものと考えられる。
 
 同社には後に述べるように「ミナ」に絡む
 メソポタミアの影がある。
 
 洩矢神の表徴であるミシャクジ神は、
 御社宮司などと表記されるが、
 その祖語は
 サンスクリット語のシャクティ śakti で
 シヴァ神の女性的側面を表わす用語である。
 
 その表れが神妃デーヴィである。
 
 ミシャクジ神は
 立石と立木で祀られている事例が多いが、
 これは『古事記』に語られる
 大山津見神(シヴァ神)の姫神である
 磐之比売命と木花咲耶比売命
 との対に相応し、
 リンガ(陽石)と
 シャクティを表わしているのである。
 
 シャクティ神信仰は信濃まで
 伊勢など南方太平洋側から
 入って来たものである。
 
 社宮司などその信仰の分布が
 長野県南部から東海地方に
 集中していることがその理由となる。
 
 シヴァ神の美称の一つに
 パシュパティ paśupati があり、
 「家畜の主」の意味である。
 
 実際は人間を家畜とみて
 人を導く神の意義ではあるが、
 獣類の王としての象徴でもある。
 
 なぜならば、
 シヴァ神の祖像を
 インダス文明の印章にみられる
 牛頭の神に習合させた見方があるからで、
 
 シヴァ像とは
 牛角がその額に刻まれていることが多い。
 
 いずれにしても「牧者」である。
 
 シヴァ神は
 ヴェーダ時代のインドラ神(牡牛)に
 遅れてヒンドゥ教の最高神の一に
 上がった支配的神であった。
 
 「モリヤ」は
 「森の獣」を表わし信濃の南から入ってきた。
 
 これに対し、
 諏訪大社の現在の主祭神
 建御名方神は信濃の北方から
 入って来た神である。
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908


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