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第十二章 大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

第十二章 大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社
 
 風土記は8世紀の中頃編纂されたものだが、
 それから250年後の
 延喜式神名帳の出雲国のうちに
 「大穴持」を社名とする神社が
 意宇郡に3社、
 出雲郡に6社ある。
 
 「大穴持命」は
 出雲国造神賀詞にも述べられる
 
 出雲国特有の神名であろう。
 
 八束郡宍道町来待に
 延喜式神名帳意宇郡に載る
 来待(きまち)神社が鎮座する。
 
 祭神は大物主櫛瓶玉命で社伝によると
 崇神天皇の頃
 大和国三輪山から勧請されたという。
 
 同社の東方上来待神社に
 佐久田神社が鎮座するが、
 「サクタ」は大物主神である
 インドラ神の剣をいうものである。
 
 同社の周辺佐倉は 
 śakra でインドラ神の尊称である。
 
 来待川の西方の白石地区の
 「才」には同じく神名帳に載る佐為神社、
 下白石に佐為高宮神社が鎮座するが、
 佐為は佐伊で大神神社の摂社名に係わる。
 
 高宮も同じく三輪山の頂の高宮神社に係わる。
 
 ここで注視するのは来待で、
 「キマチ」が
 サンスクリット語の
 kha-mat の音写で、
 その意味が「穴持」であることである。
 
 Kha はこれまで
 紀伊国の「紀」あるいは「香」として
  紹介してきた用語で、
 そこでは
 「空虚、虚空、天空」と説明したが、
 また「穴」をも含んでいる。
 
 「キマチ」は「穴を備えた、穴持」で
 「瓶玉」あるいは「瓺玉」
 そのものを表わしているのである。
 
 ここに大物主神と大穴持命とが
 習合している様子がよく知られる。
 
 崇神天皇の時に
 大田田根子が三輪山を奉祭するようになり、
 大物主神が当地方へ入ってきたものであろう。
 
 八束郡八雲村東岩坂に鎮座する
 毛社神社の「毛」は
 この kha が祖語であろう。
 
 毛社は熊野大社をいう。
 
 そして
 松江市大庭の神魂(かもす)神社
  kha-mat に係わる。
 
 同社の神体は杵築大社と同様「釜」である。
 
 瓺玉が雲であることは既に述べた。
 
 Khamat である
 「カマ、キマ」はまた雲を表わす。
 
 八雲村の熊野の「クマ」はこの転訛である。
 
 同社西方の松江市の熊山、空山、
 その南大原郡大東町の
 薦澤(こもざわ)などの地名を考慮すると
 熊野は「雲野」である。
 
 熊野大社は延喜式神名帳に
 「熊野坐神社名神大」と載る。
 
 意宇郡に於いて最も貴重な神社で、
 最も古い神社と考えられている。
 
 祭神は素盞鳴尊であるが、
 出雲国造神賀詞に
 
 「加夫呂伎熊野大神櫛御気野命」
 
 とあり、
 
 「御気野命」が
 祖神であったことを窺わせている。
 
 「御毛野」とも表記される。
 
 「ミケノ」は「雲(megha)野」ではあるが、
 しかしその原初はより複雑である。
 
 というのも「毛(気)野」が
  kha の派生語 
 khana の音写とみられるからで、
 同じく「穴」を表わし
 大穴持命が祀られていた可能性がある。
 
 「加夫呂伎」は「神祖」とも表記されている。
 
 大穴持命といっても
 ここでは久那斗神名である。
 
 Khana は穴ではあるが、
 「坑」「穴を掘る」で、
 久那斗 khanati(te) 、また 
 khanitr (掘る者)に近い。
 
 熊野大社は「日本火出初社」として知られる。
 
 毎年十月十五日には
 鑚火(きりび)祭が行われる。
 
 この祭事で火を鑚り出すのに
  鑚臼(実)鑚木が用いられる。
 
 鑚臼は一枚の板で、
 鑚木は一本の棒で杵という。
 
 鑚木(杵)鑚臼に
 穴ができるように挽り込んで
 火を興すのである。
 
 この「穴を掘る杵」こそ
 毛野(気野)である「御気野命」にして
 久那斗神なのである。
 
 意宇の山狭に火を興す神が
 鎮座するのはなぜだろうか。
 
 それは
 ここで金属生産ないし加工(鍛冶)が
 行われていたからである。
 
 金属業にとって火は不可欠である。
 
 「加武呂/加夫呂」を
 サンスクリット語の 
 kamara (鍛冶工、金属工)とさえ考えられる。
 
 熊野の東側の岩坂には
 田村神社が鎮座し、
 祭神を
 金山毘古、金田(きんだ)明神としている。
 
 久那斗は後に
 「キヌタ:砧」と変化しており、
 「金田」はその砧であり、
 金山毘古神は
 製鉄の神としてよく知られている。
 
 ただし「田村」が 
 tamara の音写とすると「銅」を表わすので
 銅加工が行われていたとみられる。
 
 その北方桑並川の下流に
 志多備神社が鎮座するが、
 「志多」は鉄、
 「備」は鞴(ふいご)と同義で炉を表わし、
 この神社名は「鉄炉」である。
 
 『古事記』に
 
 須佐之男命の歌として
 記載されているものがある。
 
  八雲立つ出雲、八重垣つまごみに、
  八重垣つくる、その八重垣を
 
 この内容は
 
  「自然の雲のたなびく出雲に
   妻(稲田毘売)のために
   八重に垣をつけた家を建てた」
 
 というような安らかなものではない。
 
  「矢のように煙(雲)が立っている。
   それは熱炉(八重垣)が
    たくさん作られているからである」
 
 といっているのであり、
 意宇郡の辺りが
  金属業の盛んな地方であったことを示す。
 
 それ故、
  須佐之男命は
 大蛇の尻尾から
 優秀な剣を得ることができたのである。
 
 因みに能義郡広瀬町の富田(とだ)は 
  dhamita の転訛で
 「煙で隠された」の意味である。
 
 古くは富田荘があった地方である。
 
 出雲国をおおよそ
 南北に貫流する斐伊川は
 比喩的に「鉄川」である。
 
 「斐伊」は
 サンスクリット語の 
 pinga の転訛で
 「黄褐色の、赤褐色の」の意味で、
 赤錆びた鉄の色を表わし、
 それだけ川の流域で
 鉄が採れたことを示す。
 
 出雲風土記大原郡に
  「樋伊郷の人樋印友知麻呂」とあるが、
 「樋印友」は pinga に由来するだろう。
 
 その大原郡加茂町を流れる赤川は 
  pinga の意訳名である。
 
 斐伊川は
 島根県と鳥取県の県境船通山を
  本源とするが、
 鳥取県側に
 日野郡日南町の北方に印賀山があり、
 鉄穴谷の地名がある。
 
 この印賀も 
 pinga に依るものであろう。
 
 県名
 「鳥取」も「多多羅」と同じ
  「熱路」を表わす言葉を祖語とし
 鉄生産に係わる。
 
 神魂神社及び素盞鳴尊、
  稲田姫命、大己貴命を祭神とする
 八重垣神社の鎮座するのは
  松江市大庭(おおば)町であるが、
 この「庭」も「雲」に由来しているのである。
 
 サンスクリット語の 
 nabhas がその祖語で
 「雲、雷、蒸気」を表わす。
 
 この用語は
  ギリシャ語の νεπηος 、
 ドイツ語の Nebel と同根である。
 
 大庭は神魂神社の神域を
 「神庭(おおば)」
 と称したことに始まるという。
 
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908
  

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