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第十一章 日本に祀られたインドの神々:稲荷(黄金山信仰(2)紀伊郡と紀氏)➀ [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]









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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
 
《第十一章 日本に祀られたインドの神々:
稲荷(黄金山信仰(2)紀伊郡と紀氏》
  
  京都市伏見区は『和名類聚抄』がいう
 「紀伊郡」の地である。
 
 史料における初見は日本書紀「欽明天皇」条に
 「天皇幼き時、夢に人有りて云う」。
 
 『天皇が秦大津父(はたのおおつち)という者を
  寵愛されれば、
  壮大に及んで必ず天下を有(あ)らされる』。
 
 「寐(ねさ)鷩めて使いを遣わして
  普(あまね)く求めると、
  山背国の紀郡の深草里にて
  (その人を)得た」
 
 とある。
 
 ここに
 秦氏が存在したことを示す史料でもあるが、
 「紀郡」の名称は紀氏の存在を推測させる。
 
 「紀」は紀氏の氏姓に由来するものだろうか。
 
 東隣の山科には
 紀氏の影響のあった証が十分であった。
 
 山城国における紀氏の存在は、
 伏見区の西南に位置する八幡市に鎮座する
 岩清水八幡宮の奉祭氏族が
 紀氏であることによって知られる。
 
 「岩清水八幡宮護国寺略記」によると、
 紀氏の一族である
 南都大安寺(奈良)の僧行教が
 貞観5年(863年)に
 宇佐八幡宮の祭神を移座したという。
 
 行教が宇佐宮に参着中
 
 「都の近くに移座し国家を鎮座せよ」
 
 との信託を受け、
 山崎辺りまでやってきた時、
 また
 
 「移座するところは岩清水男山の峰なり」
 
 との託宣を受けたものと伝える。
 
 しかし、
 本当のところは
 ここが紀氏の勢力にあった痕と考えられる。
 
 八幡宮が遷座される以前に
 既に現在同社の摂社となっている
 岩清水社があったとみられる。
 
 なぜならば、
 岩清水社には
 今でも清水が湧き出る泉(井)があって
 神聖視されていたからと考えられる。
 
 和歌山市の紀氏の本拠である宮地区には、
 「出水(でみず)」または堅真神社の「堅」、
 その東側の和佐地区名は「井」であることなど
 「水」に係わる地名が多い。
 
 この「水」こそ「岩清水」に相応し、
 鎮座する山名「男山」の原義である。
 
 「オトコ」は
 サンスクリット語の「水」を意味する
 udaka の転訛で、
 その意義には
 「聖水を供えること、浄水」があり、
 「男山」の本義は「聖水山」となる。
 
 八幡宮のうちには
 水分社、水若宮社、灌頂堂など
 「水」に係わる神徳が備えられている。
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 
 

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