SSブログ

第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(4)クレタ島 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

『バグダッド下水音頭』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049176.html
『創世紀』の目次へ戻る https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-05-09
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
[サッカー](かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪[サッカー]

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(4)クレタ島


 クレタ島が牡牛信仰の、
 それも牛角崇拝の聖地であることは
 よく知られているところである。
 
 クノッソス宮殿には牡牛の角を模した
 「奉納の角」と称される
 巨大な石造物が天を突いて立っている。
 
 宮殿の壁にも牡牛は描かれている。
 
 宮殿の北口玄関付近の壁には、
 角を前に突き出し突進する
 朱塗りの牡牛が描かれている。
 
 壁画の中にはスポーツ競技の一種であったのか、
 牡牛の背を逆立して飛び越える
 競技者らしい姿を描いたものもある。
 
 また、
 工芸品の中に凍石製の牡牛の頭に
 金色の長い角をつけた角杯がみつかり、
 その精巧さと写実性は
 発掘後驚嘆されたところである。
 
 また、
 「奉納の角」型の像が
 宮殿内のあちこちの部屋に掲げられたり、
 祭壇の上に置かれており、
 この島の宗教が
 「牛頭崇拝」であることを示している。
 
 このような
 「牛頭崇拝」は島内で成立したものであろうか。
 
 現在のクノッソス宮殿の遺構は
 紀元前一六世紀の中頃、
 クレタ島に近いティーラ島の
 サントリニ火山が爆発し、
 排灰により埋め尽くされ破壊が少なかったため
 貴重な遺物が現在にもたされたのである。
 
 同遺跡の地にはそれよりさらに
 四千年も前からの人の居住址が
 地中に埋もれている。
 
 クノッソスの新石器時代の居住建物の址から
 銅の斧が一丁みつかっていることから、
 金属器を使う人々が古くに
 住んでいたことが知られる。
 
 ピーター・レーヴィが
 
 「クレタ人はもともと
  レヴァント地方のどこかから、
  たぶんエジプトの混乱を逃れて、
  あるいはもっと東方からやってきた」
 
 と推測するように
 島外からその文化が持ち込まれて来たと
 判断するのが妥当であろう。
 
 これまで、この古層の居住者について
 アナトリアのチャタル・フユクの遺跡と
 結びつけたりした推測がされてきたが、
 未だ不確定である。
 
 クレタ島の遺跡文化を
 「ミノア文明」というのは
 ギリシャ神話に語られる
 伝説的王ミノスに因んで
 「ミノア」と近代の発掘者により 
 呼称されたもので、
 紀元前二千年頃、
 彼等自身何と称していたのか不明である。
 
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 
 

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

nice!の受付は締め切りました

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。