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第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(4)カナアン(カナン) [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(4)カナアン(カナン)


 紀元前一八世紀、
 ユーフラテス河の流れる
 シリアとイラクとの国境近くに栄えた都市
 マリの王国文庫から発見された楔形文字の粘土板
 「マリ文書」にカナン人の名称 
 Kinahnu が出てくる。
 
 エジプト人は
 紀元前十五世紀の中頃から
 「アジア」の土地フルを
 カナン knnw と呼ぶようになり、
 紀元前一四三〇年頃に
 ミタンニ時代の記録に
 カナンの地 māt Kinaning があり、
 紀元前一四世紀初めの
 エジプトの史料
 「アマルナ文書」には
 アッカド語による呼称を取り入れた
 カナン権 pihati kinahi がのっている。
 
 現在のシリアの地名で、その南端で
 ドルシェ Druze 山があり、
 山の西に Busra の町がある。
 
 紀元前一世紀のローマ時代に
 Basan 地方と呼ばれるた地域内であるが、
 その意味は農耕である。
 
 ドルシェ山の周辺には 
 Qanawat 、Qanaytra の町がある。
 
 領地名ともカナンの派生語である。
 
 カナンの祖語はグルジア語にある 
 Basan と同義「耕す」を意味する 
 Xnav と同根とみられる。
 
 東方北メソポタミアからやってきた
 ケルト人たちが、
 地中海沿岸の恵まれた気候のもと
 麦類などの耕作をしていた
 農耕民およびその土地を
  kanaan と呼ぶようになったのである。
 
 カナンの沿岸地帯には
 交易都市が続々育っていくこととなる。
 
 現代の都市名ベイルートは
 シュメル語において「輝く」の意味から
 金属に敷衍(ふえん)されて
 使われる bar から派生した 
 Berybos が古代の都市名であった。
 
 シュメル語の鍛冶工 
 de の同類語 Dor 名の都市が
 カルメール山の南にあった。
 
 この dor を基礎としたと思われる都市が 
 Zor で、別称 Tyrus である。
 
 この都市名には、
 ドイツ語で Zinn 、
 英語で tin となる錫のおもかげが隠されている。
 
 都市名ゲバル Gebal は
 シュメル語の青銅を表す 
 zabar ないし kabar の同類語による。
 
 このように金属特に青銅と関係した地名が多い。
 
 その背景には
 同地域に銅産地をかかえていたことによるだろう。
 
 レバノン山脈で銅が産出したばかりでなく、
 至近のキプロスから多量に入手できたのである。
 
 チルス市の勢力が建設したのが、
 アフリカ北岸の植民地都市カルタゴであるが、
 現在そこはチュニジアで、
 その首都名をチュニス Tunis という。
 
 チュニスはチルス市名に由来する。
 
 このあたりは紀元後四世紀に
 「ゲルマン民族の大移動」に乗って
 イベリア半島からモロッコに渡った
 ヴァンダル民族が本拠を置いた地方である。
 
 ローマ時代、ヴァンダル時代を経て 
 Tunis と呼ばれるようになったわけで、
 
 Tyrus の原語が
 錫を意味していたことを示唆している。
 
 また
 ベリトス Berytos の地名はギリシャ神話において、
 チルス市から出てカルタゴの女王となった
 ディードー Dido の父である
 ベロース Belos と関連する。
 
 ベロースはバール神の転訛名である。
 
 同市は新アッシリア時代になると
 ハルデとも呼ばれるようになった。
 
 これは
 カルト khard を市名にしたものとみられる。
 
 ※1969(昭和44)年6月12日読売新聞に、
  天竜川中流域の静岡県水窪町で、
  紀元前600年頃と推定される、
  文字が刻まれた石(水窪石)が
  発見されたと報じられた。
 
  解読の結果
  「バルーツ(女神)ガシヤン(男神)に奉る」と
  書かれていることがわかった。
 
  バルーツとは、
  フェニキア民族の根拠地・
  シリア地方の自然神バールの女性形同一神である。
  フェニキアという名は民族の守護神・
  フェニックス(不死鳥)に由来するのだが、
  ガシアンは鳥=主神という意味である。
 
  同様の文字は、
  アケメネス朝ペルシャの円筒印章や
  パキスタン岩絵、
  インド洞窟画、中国岳神図、朝鮮石壁文字、
  さらには北米東海岸・
  ニューハンプシャー州ミステリーヒル碑文からも
  発見されていて、
  当時のフェニキア人の足跡が偲ばれる。
  フェニキア人はBC1500年頃、
  アルファベットを実用化した事で知られている。
 
  ユダヤ人や有色アジア人種と同じセム族で、
  自らはカナン人と称していた。
 
  カナンとは、
  東地中海のシリア・レバノン・イスラエル
  北部の海岸地帯を指す。
 
  彼らは海の遊牧民と言われる海洋交易民族で、
  トルコのビザンチオン(イスタンブール)、
  ロードス島、キプロス島、シチリア島、
  クレタ島、ギリシャのアテネやスパルタ、
  北アフリカ・カルタゴなど、
 
  地中海全域に根拠地を建設し、
  スーダンの金やレバノン杉などを交易していた。
 
  外洋航海の技術や知識は、クレタ流と言われる。
 
  BC2000~1700年頃に栄えた
  クレタ文明のミノア人も、優れた海洋民族だった。
 
  ギリシャの歴史家・ヘロドトスは、
  フェニキア人が紅海を発して南の海を航行し、
  3年目にヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)を
  回って再びエジプトに帰ってきたと、
  アフリカ大陸周航の事実を記している。
 
  また
  フェニキア人は、
  当時スペインやフランスに居住していた
  ケルト人と、
  鉱山開発や貿易を通じて協力関係にあった。
 
  ケルト人は、
  ドナウ・ライン・セーヌ・ロワール川などの
  河川を利用した交易集団でもあった。
 
  フェニキア船団は、ケルト人やユダヤ人、
  エジプト人やギリシャ人などが
  混在する多民族混成旅団だった。
 
  しかし彼らには共通の信仰があった。
 
  セム語で「主」を意味する牛の神バールである。
 
  クレタのミノッソス、エジプトのイシスも
  牡牛に象徴される。
 
  ユダヤ王ソロモンの玉座には、
  黄金の仔牛アモンが刻まれ、
  ゾロアスター教のミトラ神の原型も
  バール神である。
 
  何故牡牛なのかはよくわからないが、
  源流は伝説のアトランティス文明に
  あるとも言われている。
 
  さて、こうした事をふまえた上で、
  再びBC600年頃の静岡県水窪町に話を戻そう。
 
  当時は大和朝廷初代・神武天皇が
  即位したとされる頃で、
  出雲・丹後・大和の王朝が
  ゆるやかに連合していた、弥生時代中期である。
 
  水窪という地は、
  縄文の頃から黒曜石の産地として知られていた。
 
  おそらくフェニキア船団員は、
  現在「糸魚川・静岡構造線」として知られている
  断層線に沿って、
  金銀銅鉄などの鉱脈を探していたのだろう。
 
  鉱山師は川筋の鉱物を見てあたりをつけ、
  鉱脈を探すという。
 
  水窪石は、その為の願かけだったのかもしれない。
 
  水窪から天竜川を源流まで遡ると、
  信濃国諏訪湖がある。
 
  この周辺は良質な粉鉄こがね(砂鉄)の産地だった。
 
  出雲神話で大国主命の国譲りに反対した
  息子の建(たけ)御名(みな)方神(かたのかみ)は、
  建(たけ)御雷之(みかず゜ちの)男神(おかみ)  との相撲に負けて
  諏訪へ逃げるわけだが、
  当時から出雲国の重要拠点だったのだろう。
 
  鉄が日本史に登場するのは
  2~3世紀の古墳時代だが、
  紀元前1800年頃から
  トルコのヒッタイトで使用されていたわけだから、
 
  フェニキア人たちが知らないはずはない。
 
  アムートゥという鉄は、
  エジプトとの間で
  金の5倍、銀の40倍の価格で取引されていた。
 
  お宝を探し当てたフェニキア人たちが、
  諏訪に住みついたと想像してみたくなる。
 
  諏訪大社南方に守屋山という名の山があるが、
  創世記22章の
  「アブラハムがモリヤ山で息子イサクを
   生け贄として神に捧げた」という、
  ユダヤ的なエピソードを連想させる名前である。
 
  出雲王朝は、BC1046年に牧野の戦いで
    周に滅ぼされた
  殷王朝亡命難民が主要な構成員であり、
  日本に弥生時代の稲作文化や
  銅剣・銅鐸文化を招来したと思われる。
 
  殷はシュメル古拙(こせつ)楔形(せっけい)文字
  に似た甲骨文字を創始し、亀甲占いを行う。
  なるほど出雲地方には亀甲神紋が多く、
  亀甲占いは皇室の秘事と聞く。
 
  殷はBC2070年に成立した、
  南方系龍蛇(ナーガ)信仰の「夏」を滅ぼし、
  BC1600年に成立した国だが、
  道教神話では夏以前の神話時代、
  石の巨人・磐(ばん)古(こ)、
  蛇身の女神・女媧(にょか)、
  牛の角を持つ炎帝神農の
  元始三皇に始まるとされる。
 
  この炎帝神農こそバール神であり、
  古韓国語ではスサという。
 
  牛頭ごず天王てんのうの別名を持つ
  「スサノオ」である。
 
  なぜ殷王朝に
  オリエント・地中海世界のバール神なのか。
 
  殷族とは本来、アーリア系イン族とされる。
  加えてシュメルのウル第3王朝が
  BC2024年に滅亡した事と、
  かなりの関係があるように思われる。
 
  神話では易経と文字の発明は
  伏羲(ふくき)の役になっているが、
  崑崙山を越えて来た
  シュメル文明の末裔たちが
  創始したのではないかと。
 
  殷は天地自然の神々を信仰し、
  王を支える武士団が存在し、
  殉死の風習があった。
  周に殉死はない。
  一族の旗印は白。
  周は赤。
  民族の守護神は、
  フェニキア人同様に鳥(鳳凰)だった。
 
 現在のレバノンとイスラエルとの国境地帯が
 ガリレア galilaea のメイロン山付近に
 zafat、Kefar-nahum の町があるが、
 シュメル語の zabar 、kabar による遺称であり、
 galila も
 シュメル語の gar-ra (金属加工する) と関係する。
 
 地域内にある都市 Tiberias (ローマ時代)は
 thveli を付名したもので、
 ここで鍛冶工業が行われたからであろう。
 
 ウガリット市は
 「海の民」の攻勢により陥落し没落の憂目にあう。
 
 しかし、
 その後においてフェニキアとして
 集合された諸都市は、
 ウガリットと同じく海洋交易の利権を確保し、
 地中海の西方に向けて
 力を伸張していくことになるが、
 やはりウガリットが敷いた海洋ネットワークを
 再構成したものであろうと考えられる。
 
 紀元前3000年前後:レバノンへのセム系民族の移動
          ↓
 紀元前2000年前後:アモリ人の流入
          ↓
 カナン人の形成「海の民」による航海技術
          ↓        
 紀元前1200年前後:フェニキア人と呼ばれるようになる。





M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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