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第二章 埋葬儀礼 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第二章 埋葬儀礼


    ザウィ・チェミおよびシャニダールの

 両遺跡では埋葬儀礼が

 すでに始まっていたことを指摘できる。

 

 シャニダール洞窟の墓地では、

 遺骨と共に小さな箱状に形作られた台座と

 思われる石が並べられていた。

 

 また、ザウィ・チェミの遺跡では

 円形の家やシャニダール洞窟で

 並列されていたのと

 同じ方形の石を配列した石囲いがもられた。

 

 これらの石の配列は

 葬送儀礼との関係を示唆している。

 

 何らか式典のような作業があったに違いない。

 

 埋葬儀礼の様子は

 次の原新石器時代の遺跡とされる

 モスールに近い

 ケルメズ・デレ遺跡ではより

 具体的にみえてくる。

 

 最も古い建物跡は、

 日本古代の竪穴住居のように

 地面を掘り込んで

 外淵を地面より高く土で盛り上げて

 壁を作った円形住居であったが

 その内部に石と漆喰でできた

 矩形の柱石状構造物と

 石の環状配列が残されていた。

 

 また、

 胴体をはずされた人間の頭骨が

 六体発見されたので、

 単なる住居でなく埋葬に係わる儀礼の場で

 あったことをうかがわせる。

 

 環状の石の配列は炉と考えられており、

 葬送に当り燔祭を行ったことを推測される。

 

 エリドゥの神殿の供物台の上で

 供物が焼かれたり、

 湯沸かし器で魚が煮られたことを思い出せば、

 この無土器の新石器時代においては、

 供物を焼くことが調理することであり、

 炉が調理の場であった。

 

 供物台の元祖であると

 考えてよいのではないだろうか。

 

 そうすれば、

 エリドゥの最古と思われる最下層から

 第四層の神殿建物の外に作られた

 円形の構造物をは

 火を焚いた炉または

 窯であったことが推測される。

 

 一辺三メートルに足らない建物の中で

 供物を調理することはできなかったのである。

 

 それに続く時代には神殿建物自体が拡大され、

 内部で火を使っても危険が無くなり、

 供物台上で焼いた痕跡が

 残されることとなったのである。

 

 柱石状の立体物は

 祭壇になる以前の神の依代であることが

 判ってくる。

 

 あるいは葬送の式礼の中で

 死んだ者の頭骨を

 その柱(台座)に置いて

 儀礼を行ったとも考えられる。

 

 頭骨を胴体から離し、別のところに

 しかも集落の一定箇所に埋葬するのは

 西アジアでの死者を葬送する方法として

 よく行われた慣習である。

 

 パレスティナ、レヴァント、

 そしてアナトリア高原の遺跡で

 一般化していた方法である。

 

 頭骨に塗装したり、

 飾り付けしたものさえ発見されている。

 

 このような儀礼については、

 一種の祖先信仰を表しており、

 祖先が死後も残されたものに対して

 強い影響を及ぼすため、

 祈りや犠牲を捧げることによって、

 鎮めねばならないと信じられていたというのが

 専門家による理解である。


M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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