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第一章 インドの踊子と天鈿女命 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第一章 インドの踊子と天鈿女命》
 天鈿女命が御巫であり、
 石屋戸前の神集いで御巫舞を踊ったことは
 すでに理解できただろう。
 
 古代インドの舞踊とは
 どんなものであったのだろう。
 
 まず写真を参照する。
 
 これは1984年3月から7月にかけて
 東京と京都で開かれた
 インド古代彫刻展に出展された
 「本生図と踊子像のある石柱」の
 正面写真である。
 

 前2世紀から1世紀の
 シュンガ朝時代に製作されたもので、
 ニューデリから南方へ
 タージ・マハルで有名なアグラへ行く途中
 中程のマトゥラー市で出土した石柱である。
 
 石柱の高さは202センチメートルある。
 
 カタログ説明をそのまま記載する。
 
 「玉垣の石柱に浮彫りヤクシー像が
  大きく表現されている。
  正面向きで、しなやかな服を交叉し、
  両手で条帯をもって舞踊する姿である。
 
  豪華な結髪や髪飾り、蘡珞、腕釧、
  緩帯、足環にいたるまで
  細密克明に表現し、
  当時の宮廷の踊り子の姿を追感される。
 
  上部のメダイオンは仏陀の前世の物語が、
  下には踊る獅子が彫られている。
 
  豊満な乳房や陰部の大らかな造形は、
  この女神が豊穣吉祥を象徴している
  インド的な
  造形の一つであることを示している。」
 
 正に踊り手である天鈿女命を髣髴させる。
 
 「胸乳を掛き出で、
  裳緒を番登(ほと)に忍し垂れき」
 
 と表現されてる舞衣裳そのままである。
 
 裳緒は衣裳のひもで、
 これを持って
 番登を隠したり見せたりしたというのである。
 
 「垂れき」は単に下げたという意味ではない。
 
 本地垂迹説と使われているように
 「垂」は顕現、顕れるの意である。
 
 また
 福岡県久留米市御井町の
 高良玉垂命神社の祭神名に入っている。
 
 祭神高良玉垂命については諸説あるが、
 鏡を神格化したものといえる。
 
 サンスクリット語の鏡を意味する 
 atam-darsu は、
 自己を見る、我見 
 ātam-darsin から派生した用語で、
 
 drsa は眺め、 
 darsiká は顕(うつし)、
 drsi は観ること、視、試みること、
 その動詞は 
 drs は見る、発見するの語義である。
 
 日本語のうちにも
 「顕」を意味する「垂」の用法例はある。
 
 「みたらしだんご」がそれで、
 その実状をよく教えてくれる。
 
 透明の掛け汁によって
 内の身団子が見えるように調えられている。
 
 これが
 あんこや海苔で巻かれたものは
 「みたらし」ではない。
 
 ごまだれ、醤油だれ、蒲焼のたれなど
 透明性があって
 中身の姿形を隠さない調味料をいう。
 
 最近家庭の食卓に乗るようになった
 ドレッシング dressing は
 英語名のたれである。
 
 これは dress 
 古語で drest に由来する。
 
 最近は
 服を着る、着飾る、正装するなどの意味で
 使われているが、
 本来は観せる、顕わすにある。
 
 Dress は観せるための衣裳を着ることで、
 肉体を透かせても隠さず
 露わに観せる衣裳をいう。
 
  Dressing-table は鏡台、
 単なる dressing は鏡つきタンスをいう。
 
 ドイツ語では 
 tracht (衣裳、流行)、
 動詞 trachen は
 試みる、志す、見出そうとするである。
 
 「垂」は
 インド・ヨーロッパ語圏の用語である。
 
 石柱の踊り子も腰から二股にかけて
 薄手の衣裳紋様が刻まれ、
 後にも下っているので
 透けた衣裳を着けていたとも考えられる。
 
 股の交叉は
 この女神が踊っているいることを示す。
 
 サンスクリット語で舞踊のことを 
 thandava という。
 
 ドイツ語でtanz 、
 英語で dance であるが
 タンダ(田手)は古代日本へも入った。
 
 次に、
 「蹈み登杼呂許志」
 「足を踏みならし」
 である。
 
 足を踏み鳴らして踊るダンスの代表に
 スペインのフラメンコがある。
 
 この舞踊は
 スペイン固有の伝統芸能ではない。
 
 伝承によると
 インドから流れ流れやって来た
 流浪の民によって始められたという。
 
 あの激しい足踏みとリズムは
 見聞する者を次第に陶酔させ
 恍惚した気分に吸い込んでいく。
 
 踊り手は次第にいわゆる
 「神懸り」し
 聴衆をその境地に曳き込んでいくのである。
 
 インドの伝統舞踊の中に 
 katak がある。
 
 かっては
 吟遊詩人が演じていた舞踊である。 
 
 日本でも靴音を
 「カタカタ」と表現するが、
 インドでも 
 katakata という。
 
 Katak は
 この足踏みから取られた名称らしい。
 
 現在インドの宗教は
 ヒンドゥー教が大勢であるが、
 その hindu の語幹 hind には遍歴、
 つまりさまよい行くの意味があり、
 吟遊詩人が各地を道遙しながら
 神譯を歌い上げ神々を賛美したのである。
 
 そのような吟遊詩人たちによって
 演舞された 
 katak は宗教的雰囲気の強いもので
 「神懸り」的ダンスと理解できる。
 
 阿知女作法で伴奏として
 和琴のみが奏されると紹介したが、
 フラメンコの場合もギターのみが伴奏し、
 歌と踊りから構成されている。
 
 ダンサーは男女双方にいる。
 
 katak も同様
 男女両方が舞うことが許されていた。
 
 この舞踊は16世紀になって成立した
 ムガール帝国の宮廷舞踊に取り入れられ、
 形式化されたのである。
 
 また 
 katākali という伝統舞踊があり、
 こちらは男性のみが舞い手になれた。
 
 大きな冠をかむり、
 スカート状の衣裳を着けて
 日本の歌舞伎のような劇中で舞われた。
 
 男性が女性の姿となって演舞した。
 
 インドの伝統舞踊のうち最も古いと
 考えているのが 
 Bharata-nātga で、
 バラータは
 日本を「やまと」と呼ぶのと同じ
 インドの古名、
 ナークは舞踊を意味するが、
 使われ始めたのは比較的新しく
 西暦4、5世紀らしい。
 
 しかし、
 この舞踊は巫女が寺院で
 神に奉納した舞踊に起源があるといわれ、
 インダス文明にまで遡及する
 と解説されている。
 
 「本生図と踊子像のある石柱」に
 造形された女神は
 「豊穣吉祥」を祈願する舞姿であり、
 天鈿女命の舞姿であると理解できる。
 
 巫女たちは少女のうちに、
 つまり月経が始まらないうちに
 寺院に献げられ
 激しい特別の訓練を受けるという。
 
 《参考》
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、
 マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に
  描かれている) 
 本生図と踊子像のある石柱
M.K記

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