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第一章 祝祭(ハフリ) [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第一章 祝祭 祝祭(ハフリ)》
 先に阿智神社に
 智里昼神が鎮座していることを述べたが、
 この昼神とは八意思兼神が奉祭した神である。
 『古事記』の天石屋戸の段において、
 須佐之男命の乱暴に怒った天照大御神が
 石屋戸に入り隠れてしまった場面において
 八百萬神は困って思兼神に相談し、
 天照大御神が
 石屋戸から出て坐(ま)す計略を工夫し、
 諸神が集まって祭宴開き、
 大御神が遂に出て坐された経緯からすると、
 思兼神が祭宴を主宰し
 大御神に仕え奉る祭司である。
 天照大御神は
 別に天照大日孁尊(おおひるめのみこと)
 と称された。
 ところで、
 阿智神社を奉祀したのは阿智祝と伝えられ、
 八意思兼神、天表春命は
 この祝部の祖神である。
 風土記逸文に出てきた
 地名(ふせや伏谷)であるが、
 かっては
 阿智伏谷と合わせて
 呼ばれていたのではないかと推測される。
 阿智伏谷は
 サンスクリット語に
 祭司を表す adhivarya とみられるし、
 阿智はこの語から生まれたと考えられる。
 祭司=アチヴァーヤは
 供儀の祭を行う実務に精通しており
 実行の際には主宰する神官で、
 祭は数種の職制に分かれて取り行われるが、
 その第一に位するものである。
 八意思兼神は、
 このアチヴァーヤであり、
 阿智祝であったのである。
 さらに注目すべき、
 明らかになってきた重要な点は、
 天石屋戸における神集いは供儀の祭、
 つまり動物などの犠牲を神に供えて
 祈願を行う祝祭の情景を
 描いたものであることである。
  
  M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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