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第十六章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・月氏とシルクロード:志摩のダイダラボーシと天白社 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
《第十六章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・
月氏とシルクロード:志摩のダイダラボーシと天白社
 
   三重県志摩郡に波切神社が鎮座し、
 そこを波切、その町を大王町という。
 
 この神社名はそう古くはなく
 江戸時代からである。
 
 しかし、
 その形容はヤハゥエ神の出エジプト記や
 ヨシュア記のヨルダン川を渡る時にみせた
 奇跡そのものを表わしている。
 
 阿児町立神、浜島町浜島、磯部町坂崎に
 
 宇気比神社が鎮座しているが、
 
 この神社名は
 
 「誓い」でガド族の信仰を表わしている。
 
 志摩地方へのイスラエルの影響を探ってみると、
 
 「日本の神々―神社と聖地」の
 
 志摩編にみられる。
 
 「呪字板」が決定的にそれを教示してくれる。
 
 それによると、
 
 「志摩の海女たちは海中で鮫をはじめ
  いろいろな怪異に会うため、
  魔除けとして、
  必ず磯手拭(てぬぐい)の眉間に当たる所に、
  縦に一筋紺系で印をつけ、
  その左右にドーマン・セーマンと
  呪字を縫いつける」とある。」
 
 ドーマンとは星型正多角形(五芒星)で
 焼津市の小川遺跡から出土した
 木簡にあったものと同じでる。
 
 セーマンは左右・上下に四本ずつの線を
 交差させたものである。
 
 この双方を共通に
 絵文字として持っていたのは
 シュメール語である。
 
  前者は方位の意味だが、
 北極星が古代においても
 方向を読むのに重要であったので
 その描写から始まったのではないかと思われる。
 
 後者は「草、牧草」を表わす絵文字である。
 
 志摩においては
 個々にどのような意向、願いが
 込められていたのか明らかでない。
 
 但し、
 「呪字」として書かれている
 
 「(口+急)々如律令」は
 
 理解できる。
 
 「(口+急)」字は
 大漢和辞典にもない
 志摩で発想された文字である。
 
 その理由からこれを「急」音と解釈し
 
 「キュウキュウジョリツリョウ」
 
 と読む。
 
 語尾の「律令」は明白であるが、
 語頭の三字の理解が重要である。
 
 「(口+急)々」は
 ヘブライ語の KhKhM の
 音写と考える。
 
 その意味は「智恵」である。
 
 サンスクリット語の 
 gagana (天空、空、空虚)に
 対応する用語である。
 
 「如」字も
 波切と同じく
 絶妙というより妙高な用語法である。
 
 「如」は
 「ごとし」
 「あるがまま」
 
 であるが、
 
 この一字により
 ヤハゥエ神を表徴させているのである。
 
 出エジプト記の第3章でいう、
 モーセに対してシナイの山頂で神がいう
 
 「わたしは有って有る者」
 
 また
 
 「わたしは有る」いった。
 
 その後者は「如」と考察できるからである。
 
 前者は「如如」と表現されることになる。
 
 依って呪字の字義は
 「智恵者の律法」で、
 ヤハウェ神の律法の威力を
 願ったものと考えられる。
 
 ヤハウェ神は水の神であるから、
 水難を受けないための呪いである。
 
 同書は、
 志摩には三棚神(ミタラサン)信仰があり、
 祝詞を著した「三棚経」は
 蘇民将来の故事などを纏めたものだという。
 
 志摩においてはダンダラボーシの説話が
 いろいろと語られている。
 
 地方によっては
 
 「デーダラボーチ」
 「ダイダラボーシ」ともいい、
 
 関東方面では大太法師と表記される。
 
 その根元は何処にあるのであろうか。
 
 「大太」は「ダイダ」で
 「智恵」を表わすヘブライ語 
 DID(daid) がその祖語である。
 
 また、
 その背景には日本語(漢字)に「大人」と
 音写された
 ダビデ DYD から始まったと推測される。
 
 播磨国風土記託賀郡に
 
 「大人ありて、常に勾り行きき。
  南の海より北の海に到り、
  東より巡り行きし時、
  北の土に到りて、
  云ひしく、
 
  『他土に卑ければ、
   常に勾り伏して行きき、
   此の土に高ければ、
   申びて行く。
   高きかも』といひき。
   
  故、託賀の郡といふ」
 
 と巨人伝説を紹介している。
 
 播磨国は秦王国、
 秦氏の強盛な地方であった。
 
 これが志摩へ伝わって
 ダンダラボーシとなったと考える。
 
 「ダイダラ」は「大人」で、
 「ボーシ」はサンスクリット語の
 badhi(開悟) を祖語とし、
 仏教では菩提、
 日本で沐師となっている用語である。
 
 志摩には大王町波切初め、
 船越、和具、阿児町甲賀、安乗、鵜方、
 また
 鳥羽市畔蛸とその伝説がある。
 
 大王町名は
 そのダンダラボーシ名によるものである。
 
 だが、
 この巨人、波切では
 沖合の大王島に
 住んでいることにもなっていて、
 時々悪さをする。
 
 波切の村里にやって来ては
 娘をさらっていく、
 
 そこで
 智恵のある法師(坊主)が、
 
 畳一枚もある大きな草鞋を作ったり、
 一間もある魚入れの籠を作ったり、
 二間途りの股引形餅入れ袋を作ったりして、
 浜辺で大王島の巨人に見せることにした。
 
 そうすれば
 巨人は自分より
 大きな奴がいるのだろうと思って
 波切の村里へは
 やって来なくなるだろうとの名案である。
 
 やってみると、
 巨人は蒼くなって逃げて行ったと
 伝えられている。
 
 地元では大王島に住んでいた巨人を
 ダンダラボーシと伝えているが、
 
 実際は
 「智恵のある法師」が祈願した巨人こそが
 ダンダラボーシである。
 
 「智恵のある法師」は
 まさに「(口+急)々如律令」である。
 
 また静岡県焼津市
 小川遺跡から出土した木簡に記されていた
 
 「咄(口+天)(口+是)(口+鬼)七鬼神」は、
 
 このダンダラボーシを
 漢字で表示したものである。
 
 「咄」は「咄嗟」とあるように
 漢字の仲間であるが、
 
 「(口+天)(口+是)(口+鬼)」は
 
 大漢和辞典にも無い字体である。
 
 これは
 
 咄(ダ/デ)-(口+天)(テ)-
 (口+是)(ラ)-(口+鬼)(パク)-
 七(シ/チ)-
 鬼神と理解される。
 
 それが
 蘇民将来の子孫に関係する神なのであった。
 
 さらに同名から誕れたのが
 志摩に幅広く信仰されていた
 天白大明神である。
 
 「天白」は「天魄」にして
 「(口+天)(口+鬼)」である。
 
 前掲の「日本の神社」によると、
 
 鳥羽市堅神町、
 菅島町、
 答志町、
 磯部町下之郷、
 迫間、
 築地、
 檜山、
 阿児町安乗、
 大王町天白などに
 
 その社詞が
 現在も有ったり既に無くなったが、
 記録にあるという。
 
 宇気比神社が鎮座する
 阿児町の「立神」は
 ヤハウェ神を表わす。
 
 「タチ」は明石市の「太地」に同じく
 「誓い、証し」を表わすヘブライ語
  (Heb.),ִֶדֻת,IDVT,iedut に係わる。
 
 また、
 同町甲賀に鎮座する阿夫賀神社名は、
 「聖都エルサレム」を表わす。
 
 (Heb.),ִיהֻת,IYHK,iyhut の音写に依る。
 
 その傍証は、
 甲賀に接する字名志島・畔名が
 エルサレムの代名詞でもある 
  シオン(ツィヴォン) 
 TsYVN を構成する
 TsY(志)島-VN畔名であるからである。
 
 このような例は既に
 埼玉(前玉)が
 佐谷田 sakt-持田mat になっていることを
 
 第11章の
 「埼玉・鹿島:剣持神の国」
 などで紹介した。
 
 さらに郡名「志摩」は
 この TsYN の転訛であると考えられる。
 
 その理由に後述
 
 「千葉:坂戸神社の人身御供神事」の
 「千葉」の由来が参考になる。
 
  播磨国風土記揖保郡に
 
 「伊和大神の御子、伊勢都比古命、
  伊勢都比売命」の
 
 神名が載っている。
 
 また伊勢国風土記逸文の
 「伊勢国号」に伊勢津彦が登場する。
 
 それには
 
 「国は宜しく国神の名を取りて、
  伊勢と號けよ」
 
 とし、
 地方名「伊勢」が伊勢津彦に負っていると
 この伝承は言っている。
 
 伊和神が伊勢津彦の祖神であるから、
 この氏族はイスラエル人であることになる。
 
 そこで参照すべきは、
 ガド族の聖地安来市今津町に
 鎮座する伊勢神社である。
 
 鎮座地は井越で、
 ヘブライ語の
  (Heb.),יִסהֶו,YYShVA,yishev 
 居住地 に依る用語である。
 
 その理由は
 「伊雑宮」のある
 「磯部町」名が双方とも 
  YYShVA に依って訓める呼称であるからである。
 
 町内坂崎には宇気比神社もあり、
 その「居住」が明らかである。
 
 ただし、
 「イセ」の当初の称名は伊勢市にあり、
 その地主神、宇治蒲田に鎮座する
 猿田彦神社の祭神インドラ神を称した
 īsā,īsāna(支配者)に依るものと考える。
 
 志摩郡の南方に尾鷲市がある。
 
 ここにもイスラエルの波及がみられる。
 
 加田湾のある加田はガド名に依る。
 
 古川の水源の山ゲジョ山(927.2m) は
 GShM(geshem)の音写で「雨山」である。
 
 市名は北浦町に鎮座する
 尾鷲神社名に依るが、
 
 「オワセ」は
 どうも尾鷲節伊勢音頭とも関係する
 
 旧約聖書民数記第10章にある
 
 「契約の箱の進むときモーセは言った」
 
 という詞謡に由来する。
 
 契約の箱
 
 10:33 
 
 人々は主の山を旅立ち、三日の道のりを進んだ。
 
 主の契約の箱はこの三日の道のりを
 彼らの先頭に進み、彼らの休む場所を探した。
 
 10:34 
 
 彼らが宿営を旅立つとき、
 昼は主の雲が彼らの上にあった。
 
 10:35 
 
 主の箱が出発するとき、モーセはこう言った。
 
 「主よ、立ち上がってください。
 
  あなたの敵は散らされ/あなたを憎む者は
  御前から逃げ去りますように。」
 
 10:36 
 
 その箱がとどまるときには、こう言った。
 
 「主よ、帰って来てください/イスラエルの
  幾千幾万の民のもとに。」
 
  この「主よ、立ち上がってください。」が、
 
 ヘブライ語 
 AYFShTYYN(oyfshteyen)で、
 「オワセ」に転訛したものとみられる。
 
 尾鷲神社の祭礼では
 この詞謡が献上されていたのではないかと
 推測される。
 
 近郊倉ノ谷町に鎮座する
 天下大水神社名は
 ヤハゥエ神をいうにふさわしい尊称である。
 
 また
 野地町は
 尾鷲神社の祭礼の親方、詰座など
 多くが住む氏子の町と知られているが、
 
 「ノジ」は NSYA(nosi) で
 「総統、統領」である。
 
 尾鷲湾を出た同市の離れ
 地須賀利町は 
 SAKTL で
 「箱」を表わす。
 
 その鎮守社護神社名も祖語を同じくし
 
 「神の箱」
 
 でモーセの詞がその進む時唱誦された
 故事に相応する。
 
 なお、
 前掲「日本神々」に鳥羽市千賀町は
 
 「星ノ宮」が
 「三国地誌」に「星詞」
 と記されてあったと述べているが、
 同町の隣り賢子町名は
 ヘブライ語の星を表わす
 KKhB(kakoba) の転訛とみられる。
 
 「星ノ宮」も
 静岡県焼津市小川遺跡出土の木簡にある
 「天形星皇(王)」に関係する。
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908

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