SSブログ

第十六章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・月氏とシルクロード:「律法」と荒神谷遺跡 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



『創世紀』の目次4へ戻る  https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-09-22-13

「神聖の系譜」出版協賛のお願い https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4


[サッカー](かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪[サッカー]
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第十六章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・
月氏とシルクロード:「律法」と荒神谷遺跡
 
  モーセがシナイ山で神から告示された戒律
 「律法」の第一は次のように述べられる。
 
  (出エジプト記第20章)
 
  20:3
 
   あなたはわたしのほかに、
   なにものをも神としてはならない。
 
 それにもかかわらず、
 ヘブライの神は大黒主神と習合したのである。
 
 日本国土の持つ文明的環境の為せる業である。
 それを人は宗教的未熟と考えるかもしれない。
 
 だが、
 この許容性は最も高度な宇宙意識の
 為せるもので、
 熟慮された上で国土全体に涵養・定着した
 環境がなければ興らない現象である。
 
 そこまで至るまでには葛藤、
  混乱があったに違いない。
 
 宗教的対立や変化を経て
 新しい宗派は定着していくものである。
 
 ヘブライ(イブリ)のガド族の出雲における
 律法(伊太氐神)信仰の普及の際にも
 社会に宗教的変革がもたらされたと推測され、
 それが荒神谷遺跡の銅鐸、銅矛、銅剣の
 埋納となった秘密と考えられる。
 
 その事件を以下のように推察してみた。
 
 播磨、因幡、出雲に
 ヤハウェ神を信奉する人々が広がり、
 それ以前の豊饒を祈念する祭祀との間に
 摩擦を生じるようになった。
 
 稲作も養蚕も実際生産に担ったのは
 倭人たちで
 彼らは上記の銅製祭器を以って
 祭祀を行っていた。
 
 そこに流通と加工技術に優れた秦氏族が
 複層的に混在することとなり、
 日常性と集合力の強い
 ヤハウェ神への信仰が
 他を制圧するようになってきた。
 
 支配的立場に立った者たちが
 自分達の宗教で統一しようとすることは
 ごく自然なことである。
 
 それが出雲に興ったのである。
 
 同地方では、
  ヘブライ(イブリ)の人々の力が増し、
 他の信仰を
 変更させることが
 できるようになったのである。
 
 「戒律」の第二は次のように言う。
 
  (出エジプト記第20章)
 
  20:4
 
   あなたは自分のために、
   刻んだ像を造ってはならない。
 
   上は天にあるもの、下は地にあるもの、
   また地の下の水のなかにあるものの、
   どんな形をも造ってはならない。
 
  20:5
 
   それにひれ伏してはならない。
 
   それに仕えてはならない。
 
 一切の神体を否定し、
 律法のみの遵守と戒めを
 正義とするのである。
 
 その伊太氐神の波及と
 ヘブライ(イブリ)の人々の増大により
 それまで豊饒祈願の祭事に用いられていた
 祭器具が集められた。
 
 破壊するのは
 里人の反感を抑えることになるので
 丁重な埋納こそが最善の策であったのである。
 
 ヤハウェ神信仰の波及は
 隠岐島にも及んでいる。
 
 隠岐郡五箇村がそれで、
 南北の「方」はガドが祖語であろうし、
 「郡」は「波、洪水」の
 「カワラ」 KVVALYE であり、
 そこに鎮座する水若酢神社は
 ヘブライ(イブリ)語の 
  MZBKH(mizbeykhes) の音写で
 祭壇を意味する。
 
 同神は洪水の神として知らせるが、
 「郡」及び鎮座地名犬町の
 「イヌ」YNN(enni雲)は
 ヘブライ(イブリ)の
 神に係わる名称である。
 
 村名五箇の「ゴカ」は
 ヘブライ(イブリ)語の
 「祭司、僧職」の 
 GLK(gakekh) の転訛したもので、
 ここに信仰を運んで来た
 神職がいたことを示している。

 
M.K記
連絡先:090-2485-7908
 

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

nice!の受付は締め切りました

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。