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第十一章 日本に祀られたインドの神々: 『埼玉・鹿島:剣持神の国』(4)「稲荷」名古墳と稲荷神社 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
 
《第十一章 日本に祀られたインドの神々:
『埼玉・鹿島:剣持神の国』(4)「稲荷」名古墳と稲荷神社
  
  さきたま古墳群には
 稲荷山、諏訪山、二子山、丸墓山といった
 名称が墳丘に付けられている。
 
 将軍名はその近くでは
 東松山市下野本に将軍塚古墳があるように
 武人である支配者を想像させる。
 
 二子山は前方後円墳、
  丸(墓)山は円墳を表わすもので納得できる。
 
 諏訪山名も東松山市にもあるように
  よく使われているが、
 稲荷(山)に至っては
 群馬県藤岡市白稲荷山古墳、
 千葉県市原市国分寺の稲荷台古墳など
 極めてたくさんの古墳名に使われている。
 
 「稲荷」名古墳は、
 山田知子が昭和58年12月に
 調査した報告によると
 全国35都道府県に189基があったという。
 
 最も多いのは群馬県の25基、
  次いで埼玉県20基、
 京都府13基、
  福島県・茨城県10基、
  宮城県・愛知県8基、
 千葉県・兵庫県7基、
  山梨県・静岡県に6基、
 東京都・岡山県・香川県5基
 
  などであった。
 
 また、「稲荷」名は付いていないものの
 墳丘に稲荷神社が祀られている古墳も多い。
 
 その例を次のように上げている。
 
 岡山市高松の壱五山古墳群、
 茨城県石岡市の山崎古墳、
 結城市の繁昌塚古墳、
 滋賀県栗東町の宇和神社境内古墳、
 京都市右京区太秦の天塚古墳、
 西京区大枝東長町の福西古墳群、
 京都府天田郡夜久野町折塚古墳。
 
 このように
 多くの「稲荷」が祀られている理由が
 「宇迦之御魂神・倉稲魂神」を
  神格としていないことは
 容易に理解できるだろう。
 
 現在の稲荷信仰には、
 稲作の神、商売繁昌の 
  神としての性格が強いが、
 多くの古墳に名称が付けられた
  江戸時代前期以前には
 別の想念が「稲荷」には
 強かったものと考えられる。
 
 つまり、
  死して行く「彼岸」、
 天界の想念で、
 諏訪山などの「スワ」、天塚などと共通する。
 
 「稲荷」が sineru の転訛であることは
 既述したところだが、
 死後の世界「天界」の象徴である
 スメル山(シネル山)の想念が
 古墳に銘名させたものと考えられる。
 
 仏教では
 スメル山を須弥山、妙見山というが、
 仏教の浄土に対する信仰が
 影響したと推測できる。
 
 古墳に稲荷が深く係わっている状況は、
 「イナリ」が 
 sineru であることを
  傍証するものである。
M.K記
連絡先:090-2485-7908
 

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