SSブログ

第十一章 日本に祀られたインドの神々 《埼玉・鹿島:剣持神の国》(3)稲荷山古墳の鉄剣 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]


[サッカー](かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪[サッカー]
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
 
《第十一章 日本に祀られたインドの神々:
埼玉・鹿島:剣持神の国(3)稲荷山古墳の鉄剣
  
  行田市さきたま古墳公園にある
  稲荷山古墳より1968年に
 出土していた鉄剣から
 銘文が発見されたのは1978年のことである。
 
 銘文は115文字から成り、
  金象嵌されていたので、
 この剣を金錯銘鉄剣という。
 
 銘文の内容には、
 意富比垝から手獲居臣まで
 八代の系譜が記され、
 
 「世々為杖刀人首奉事来至
  今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左
  治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也」
 
 とある。
 
 「世々、杖刀人の首と為り、
  奉事し来り今に至る。
  ワカタケ(キ)ル(ロ)の大王の寺、
   シキの宮に在る時、
  吾、天下を左治し、
   此の百練の利刀を作らしめ、
  吾が奉事の根原を記す也。」
 
 というのがその下し文である。
 
 文頭に「辛亥ノ年7月」の記述があり、
 これは471年、531年との二説があり、
 今のところ前者が有力である。
 
 「獲加多支歯大王」は
  「ワカタケル」と理解されて、
 「大長谷若建(ワカ)命」である
  雄略天皇に該当されている。
 
 銘文はその剣を「利刀」といっているが、
 その意味は「よく切れる鋭利な刀」である。
 
 稲荷山古墳の南方に
  利田(かがた)の地名があるが、
 これは利刀に因むと考えられる。
 
 「カガタ」は 
 khakkhata の転訛で
  「荒々しい者」、雷鳴を表わす。
 
 和歌山市宮地区の国懸(くにかかり)神社の
 「懸」と同じで雷音神である。
 
 銘文を作らせた手獲居臣の系譜には
 意富比垝から八代に至るまで
 「杖刀人の首」として
 朝廷に仕えてきたといっている。
 
 「杖刀」とは刀を杖にするとも採れるが、
 ここでは
 「刀を持つ、刀を立てる」と理解する。
 
 つまり
 刀剣を持って王に仕えたのである。
 
 大相撲の横綱土俵入りの際露払いと共に
 「太刀持ち」を待するが、
  彼は太刀を右手に立てて持つ。
 
 この姿こそ杖刀人の象徴的形である。
 
 依って「杖刀人」は「剣持」で
  śakti-mat である
 「前玉」と同義である。
 
 直截的に理解すれば
  意富比垝に始まるこの一族は
 軍武の一族で、
  その氏族的性格から武神である
 「剣持神」を前玉神社に祀ったと考えられる。
 
 インドラ神は
 アーリア人が
  インド亜大陸に侵入してきた時の
  第一の武神であった。
 
 「刀を立てる」との概念は
 次のような解釈を誕む。
 
 延喜式神名帳に
 「前玉神社二座」とあることから
 祭神を二神と考え、
  その二神名をいろいろと推測してきた。
 
 その中に
 「前立命、忍立命」とする見解があった。
 
 これらは 
 śakti(前) 、
 asi(忍) で
 双方とも「剣」であることは明白で
  「刀を立てる」意味となるが、
 「アシ立て」は「足立」であり、
 
 埼玉郡の南から
 現在の東京都足立区にまで広がる
 足立(あだち)郡の祖語となり、
 そこが
 抜刀人の勢力範囲であったことを示す。
 
 延喜式神名帳武蔵国足立(あだち)郡に載る
 足立神社
 (さいたま市西区飯田の同名社に比定)の
 訓音が「アシタテ」と符されている。
 
 稲荷山古墳の被葬者が、
 発掘記録によると礫槨の中に
 金錯銘鉄剣と共に
  太刀、鉾、矢の束、挂甲、馬具が出土し、
 それらの装身具から判断して
  武人であったことを覗わせている。
 
 また十程度の人物埴輪が出土しているが、
 そのうちの四体は武人埴輪である。



M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

nice!の受付は締め切りました

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。