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第十一章 日本に祀られたインドの神々:佐原(側高神社) [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]




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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
 
《第十一章 日本に祀られたインドの神々:
佐原(側高神社)
  
  麻賀多神社と同様に
 パーリ語の用語を神社名としたのが
 千葉県佐原市の側高神社である。
 
 「ソバタカ」は sovattika の音写で、
 サンスクリット語の 
 sva-stika 、「十字」を表わす。
 
 同本社は佐原市大倉の大倉山にある。
 
 「オオクラ」は 
 sovattika-âlankāra (十字紋) の 
 âlankāra (紋)の転訛である。
 
 域内の落文大神社の「ラク」は
 その -lankà- を残して音写したものである。
 
 また大倉山の西側にある
 丁字は -ttika 部分の音写である。
 
 大倉山はまた丸峰と呼ばれるが、
 これは meru 山でスメル山、
 パーリ語の sineru 山でスメル山、
 パーリ語の sineru 山を表わす。
 
 つまり「側高」は
 インドラ神の住むスメル山の 
 svarya を表わしている。
 
 その svar (天界)が市名で
 佐原の祖語である。
 
 スバルは
 北イラクのスバル人に始まった
 古名であることは
 本書の重要な主張である。
 
 スヴァルは「十字」及び
 「天界、天空」を意味する。
 
 佐原市の成田線佐原駅近くの
 佐原地区に諏訪神社が鎮座するが、
 スワ(諏訪)が天界を表わしている証が
 ここにもある。
 
 側高神社は
 現在鹿取神宮の摂社となっているが
 「カトリ」が
 佐原、諏訪と同義の第四位にして
 「空虚、天空」を表わす cutur が
 祖語であることを納得できるだろうか。
 
 この地は
 インドラ神の隠れた鎮座地なのである。
 
 側高神社名は、
  蘇羽鷹神社(松戸市三ヶ月)、
  素羽鷹神社(印旛郡栄町竜角寺)、
  祖波鷹神社(香取郡栗源町岩部)、
 などと表記され崇拝されている。
 
 そのうち埼玉県の東端に位置する
 吉川市に蕎高神社が二社鎮座している。
 
 その社地高久は佐原市の丁字と同じく 
 ttika の転訛である。
 
 吉川市は江戸川を挟んで
 野田市と向い会っており、
 既述のように江戸川沿いに
 インドラ神信仰が広がっていたとの
 見解を補足説明するものである。
 
 側高神社の祭神については
 古来明らかでない。
 
 現在の主祭神は
 高皇産霊尊、神皇産霊尊とされる。
 
 それに倣い蕎高神社においても
 高木神を主神としている。
 
 側高神社の祭事の内、
 毎年1月10日に行われるのが、
 「鬚撫で祭」である。
 
 これは当屋渡しの行事で、
 鬚を撫でる回数に従って
 神酒を飲む回数を重ねるというもので
 「鬚」が中心となる。
 
 また毎年11月7日の
 脇鷹(そばたか)祭が行われる夜
 明治初年頃まで「白状(はくじょう)の祭」が
 津宮河岸で行われた。
 
 その祭儀に
 馬数に係わる伝承が
 内容になっているようだが、
 ここに登場する
 側高神が「白状」であったらしい。
 
 白状は「白鬚(はくしゅ)」の借用と考えられる。
 
 白鬚は鬚を撫で祭の鬚と結びつき、
 白鬚神は猿田彦神を表わす。
 
 滋賀県高島町鵜川の
 白鬚(しらひげ)神社の祭神は猿田彦である。
 
 既に述べたようにスヴァルガの支配神、
 メル山(丸峰)に住む神はインドラ神である。
 
 側高神社、香取神宮の周辺には
 稲荷神社が数多くある。
 
 稲荷大社の祭神に佐田彦神がいることを
 考え合わせなければならない。
 
 吉川市の蕎高神社のある高久と
 中川を挟んだ西側に草加市がる。
 
 「ソウカ」もインドラ神の別称
 śaci ないし śakra を祖語とする。
 
 śakra は仏教で帝釈と表記とされるが、
 音写では釈あるいは「釈加」と表記されている。
 
 釈加と草加は近似する。
 
 また同地の古家に浅古家があるが、
 同名は奈良県桜井市の三輪山の南方にある
 地名「浅古」とも合一する。
M.K記

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