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第2章 魏書倭人伝の諸国地理(6)奴国 [日本創世紀]

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(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《第2章 魏書倭人伝の諸国地理》
ー邪馬台国時代の国際ー
 (6)奴国
 同国名は「漢委奴國王」と刻印された「金印」が
 志賀島の南側から
 江戸時代に見出されていることから、
 当該地が博多湾沿岸であったことが
 明らかである。
 
 「奴」は「ナ」と訓まれるが、
 これはインドの紀元前の用語
  
 サンスクリット語〔梵語〕の「船」を表わす
 nau 音写で、
 同地方に紀元前2、3世紀には
 インドに係わりのあった人々が
 渡来し定着していたことを示す。
 
 川の名称でもある「那珂」も 
 nauka の音写で船類を表わし、
 現在の福岡市の中心地から
 内陸かなりの地域まで、
 倭人伝が「二万戸」あるといっているように、
 この平野広くを
 その領域としていたものである。
 
 金印は紀元57年に
 後漢の光武帝から贈られた。
 
 「後漢書」巻一下、光武帝(建武中元)2年正月
 
  「東夷倭奴國王遣使奉獻。
   倭在帯方東南大海中、依山島爲國」
 
 と記録されているのに当たる。
 
 つまり前述したように
 「倭」が東夷である概念は
 ここにも踏襲されているのである。
 
 ところで、「奴」の祖語が
 サンスクリット語であると述べ、
 それが「梵語」と紹介したが、
 この用語は5、6世紀
 日本へシナ、韓半島を経て
 伝教された仏教の用語であるが、
 それは漢字によったものである。
 
 しかし当書が紹介している
 サンスクリット語は
 それ以前よりずっと古く
 紀元前3世紀頃には
 韓半島及び倭の地へ
 もたらされていたばかりでなく
 インド方面の人々が
 渡来定着していたとするのである。
 
 その証拠が
 シナの紀元前2世紀頃の地理書である
 「山海経」にある。
 
 その第十八「海内経」の冒頭に
 
 「東海之内、北海之隅、
  有國名曰朝鮮、天毒、
   其人水居、偎人愛人。」
 
 とあるのがそれである。
 
 意訳すれば、
 
 「シナ大陸からみて東方の海のうち、
  北方の隅に国がある。
  その国の名は朝鮮、天毒という。
  そこの人は水上を住居として、
  倭人とインド人が住んでいる」となる。
 
 現在においてすぐ理解できる国名は
 「朝鮮」である。
 
 次の「天毒」とは何処かであるが、
 晋時代の研究家郭璞は
 「天毒國即天竺國」としており、
 
 「天竺」、また
 三蔵法師によって後代表記された「身毒」、
 いわゆる「インド」のこととしている。
 
 その当該地はあの南アジアの
 「インド大陸」を指しているのだろうか。
 
 そうではない。
 
 上記に役々原書の通り記した
 句読点の付け方から理解すると
 「朝鮮」に並んで
 「天毒(インド)」があるとの内容になる。
 
 文章の区切りは「,」印で、
 朝鮮と天毒の間に付されている
 「、」印は並列を表わしている。
 
 つまり朝鮮と接するようにして
 「天毒(インド)」があるということになる。
 
 これを考察すれば、紀元前においては
 朝鮮は未だ韓半島の北部であるから、
 韓半島南部辺りに
 「インド人の国」があったとなるし、
 「其人水居」とあることを加味すると、
 海の向うに居たともなる。
 
 本実は「水上で生活をしている」との意義で、
 これは「アズミ[阿曇]族」が相当である。
 
 アズミ族は紀元前のかなり古い時代から
 メソポタミア・インドを祖地として
 木造帆船でアラビア海、インド洋から
 極東の太平洋へ
 その交易網を広げた海洋族である。
 
 インド亜大陸へ牛飼いのアーリア人が、
 北方ヒンズークシ山脈を越えて侵入してきた
 紀元前1500年頃よりも早く
 同大陸の西方に勢力を拡げていた
 文明人である。
 
 アズミ族は遠く海洋を航海するいわゆる、
 海上、
 つまり船上を住み家とする人々であった。
 
 船が家なのである「アズミ」の祖語は 
 es-ma で語義は「屋船」である。
 
 この「船[ma]」が奴国の「奴[nau](船)」と
 合致する。
 
 このことから奴国は那珂ばかりでなく
 博多湾を取り囲む地域に
 広がっていたことが判明してくる。
 
 同湾の西方面は今津湾と称されるが、
 この「今:イマ」も e の音写で、
  e は es と同義の「家」を表わすのでやはり、
 「家(屋)-船」となり
 「アズミ es-ma 」と同義、
 また福岡市西区の湾岸の地域名「姪浜」の
 「メイ」も ma-e で
 「イマ e-ma 」を転倒させただけで
 「船-家」である。
 
 このように奴国の地域は
 博多湾の周囲で阿曇族が
 支配していたのである。
 
 倭人伝には「有二萬餘戸」とあり、
 倭人伝が記す国の中では戸数が多く、
 博多湾岸広くがその領域だったことを
 示している。
 
 倭人伝は続いて
 「東行至不彌國百里~有千餘家」とある。
 
 図4
 
 東海之内,北海之隅,
 有國名曰朝鮮;天毒,其人水居,偎人愛之。
 
 西海之内,流沙之中,有國名曰壑市。
 
 西海之内,流沙之西,有國名曰氾葉。
 
 流沙之西,有鳥山者,三水出焉。
 
 爰有黄金、璿瑰、丹貨、銀鐵,皆流于此中。
 
 又有淮山,好水出焉。
 
 流沙之東,黑水之西,有朝雲之國、司彘之國。
 
 黄帝妻雷祖,生昌意。昌意降處若水,生韓流。
 
 韓流擢首、謹耳、人面、豕喙、麟身、渠股、
 
 豚止,取淖子曰阿女,生帝顓頊。
 
 〔山海経逐次索引による〕
  M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 


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