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第1章 倭人と東夷の原像(7)黄帝の正妃は「嫘祖」は和夷〔倭人〕の祖 [日本創世紀]

『歴史創世』Rekishi Sousei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/


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(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
  
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
  
《第1章 倭人と東夷の原像》
ー和人〔倭人〕はシナ大陸を最初に開化させたー
 
   (7)黄帝の正妃は「嫘祖」は和夷〔倭人〕の祖
 
 四川盆地は古代「蜀国」であった。
 「蜀」字は甲骨文字
 〔亀甲番号6861~6866、40774〕
 などに「※甲骨文字絵」とあって
 「目」に尾ヒレを付けた形で描かれている。
 
 これは「蠶」〔蚕は代用〕を表わし、
 「おかいこ」を意味する。
 
 「蜀」字は後になってその
 「※蜀から虫を(罒+勹)取り去った字」に
 「虫」字を加えたものである。
 
 つまり四川盆地は「おかいこ」に
 深い係わりがある
 「絹」の生産地だったのである。 
 
 ところで、黄帝の正妃は「嫘祖」という。
 
 前にも引いた「大載禮記・帝繁」は
 
  「黄帝居軒轅之丘、
   娶于西陵異氏之子謂之嫘祖氏」とあり、
 
 史記五帝」本紀もこれを引いて
 
  「黄帝居軒轅之丘、而娶於西陵氏之女、
   是爲嫘祖、嫘祖爲黄帝正妃」とある。
 
  このように「嫘祖」は黄帝の正妃である。
 
  その出自「西陵」は漢書に
 
  「蠶陵縣、郡北二百二十里、本蠶叢邑也、
     漢武元鼎中開爲縣」とある「蠶陵」である。
 
 その地は現在の成都市・広漢市の西北
 珉江の松潘市の南方に当たる。
 
 つまり、三星堆遺跡からはそう遠くない。
 
 この地域は書経「禹貢」のいう
 「和夷」の住む所である。
 
 「西」「蠶」の関係だが、
 哈尼語によると
 「蠶」は〔tsha〕といい、
 
 漢語の「西〔xi:シ〕」と
 ほとんど同じで、音写である。
 
 同音はまた「蜀〔su〕」や、
 また成都市の「成:セイ」ともなっており、
 この地が養蚕の地であることを示している。
 
 さらなる重要点は
 「嫘祖」の「嫘」が
 哈尼語簡志で〔tcha〕とあり、
 
 これも〔tsha〕にほとんど同音で
 「蠶」を指している。
 
 「累」の漢語義は「まとめる、重ねる」で
 「繭」に相当される。
 
 「女」が付されているのは「正妃」だからである。
 
 「嫘祖」とは「繭の祖先」で
 「世本」が「爲黄帝元妃嫘祖、教民養蠶」
 というのを初め
 「嫘祖開蠶」とか「嫘祖始蠶」というように
 「養蚕の祖」と解釈される。
 
 そこで「和夷」の「和」、
 哈尼族の「哈」との関連をみると、
 これらの元語は同じで
 「虫」の語義であるUHがそれである。
 
 「おかいこ:蠶」は虫である。
 
 その傍証、
 現在同族は北方勢力に圧迫され
 四川省南部、雲南省へと移住しているが、
 一部はタイ国内地域まで南下し、
 そこでは「アカ族」と呼ばれており、
 その「アカ」がAHでまた
 「虫」を表わしていることである。
 
 同族を「阿尼族」と「ア」を呼称するのも
 この用語AHに依る。
 
 つまり和人〔和夷〕は
 シナ大陸で最初に養蚕技法〔野蚕〕を
 見出し拡大させた人々だったのであり、
 それは古代の当時では
 衣料や祭祀用の重要な産品を
 もたらした先端技術だったのである。
 
 あの三星堆遺跡では
 燃やされて灰となった絹が
 多量に出土している。
 
 「蠶:おかいこ」の食するのは「桑」であるが、
 
 この漢字の元になった文字も
 甲骨文字〔6959〕にあり、
 商(殷)に対して従ったり
 反叛(反攻)したりしたシナ周辺の
 小国の名称でもある(甲骨文字簡明詞典)。
 
 桑は広葉樹類に属することからすると
 四川省以南、
 揚子江沿いの植物でいわゆる
 温帯亜熱帯のもので、
 この桑の繁殖できる地域のみ養蚕は可能である。
 
 「脱文解字」には「蠶所食葉木」とある。
 
 よって、紀元後1世紀には蠶と桑との関係が
 漢人にも知られるようになっておいたことを
 示している。
 
 M.K記

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