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日本創世紀
―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《第5章 養蚕と絹》
ー紀元前後西方と極東の貿易ー
(1)倭人伝が記す倭の養蚕
倭人伝は
「(倭人が)種禾稲紵麻蠶桑緝績出細紵縑緜」と記し、
倭においてその当時紀元2、3世紀において
養蚕が行われていたことを伝えている。
第2章で述べたとおり「蠶」は「蚕」の本当の用字で
「縑」は「絹の厚織り布」、
「緜」は「絹布あるいは絹糸」を表す。
また「正始4年(243)」に
八人の使節を魏へ派遣した際、
倭より「倭錦絳青縑緜衣帛布」を献上したとある。
「錦」は「絹織物」の呼称で、
それに「倭」を付して
「倭錦」としていることからすると、
「倭錦」とはシナ〔魏〕にはない
倭の特有な産品(絹織物)とみることができる。
続く「絳青の縑、緜衣、帛布」は
すべてこれも絹製品を表わす。
このように倭においては
単に養蚕が行われていたばかりでなく、
多様な製品を産んでいたのである。
それぞれには異なった加工技法が
用いられていたわけで
その程度もかなりの技術だったはずである。
特に「倭錦」には
当時の日本列島の国際性を
証す背景があるので後に述べる。