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#58966;(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪#58966;


『神聖の系譜』

メソポタミア〔シュメール〕

ヘブライ&日本の古代史


 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 



 






第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕

 第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格

  

   (二) 旧約聖書「創世記」における「主」

      YHVH 〔ヤハウェ〕名の初出とその原義 


  

  さて『旧約聖書』全体において最も貴重な

 神の表記はYHVH〔ヤハウェ〕名である。

 

 この名称が記載される最初は「創世記」

 第二章第四節の初めである。

 同記述は次のようである。

 

    天地万物は完成された。

 

 第七日の日に、神は御自分の仕事を完成され、

 第七日の日に、神は御自分の仕事を離れ、

 安息なさった。(中略)

 

  これが天地創造の由来である。

 

  主なる神が地と天とを造られた時、

  地上にはまだ野の木も、

  野の草も生えていなかった。

 

  主なる神が地上に雨を

  お送りにならなかったからである。 

  また土を耕す人もなかった。 

 

 この「主なる神」のイブル語が

 YHVH-ALHYMで、

 第二章においてALHYMだけの記載で

 三回出た後第四回目、

 第一章からは三四回目の初登場となっている。

 

 この第二章から始まる用件は「生き物」で、

 まず「野の木」や「野の草」である。

 

 「木」といっても

 発芽は草の芽のようなものである。

 

 この第二章ではYHVH-ALHYMが一一回、

 第三章では九回、

 第四章に進むとYHVHだけがとなり、

 八回記載される。

 

 その後の章では

 YHVHだけが記述される場合が多くなる。

 

 しかし、

 時としてALHYMが使われたりし、

 そこに使用規律があるとはみられない。

 

  そこでYHVHの語義解釈を加えていきたい。

 

 ALHYM同様同語についても

 イブル語の解釈はできる。

 

 その詳細は後述する。

 

 ここではALHYMについて

 シュメール語解釈が

 可能だったことを踏まえて

 同様シュメール語で解釈する。

 

 この第二章第二節では

 「野の草」が象徴的に

 取り扱われていると注目する。

 

 つまりYHVHはシュメール語の 

 en-pa-ba〔主-もたらす-草〕で

 「草をもたらす主」との

 解釈が可能だからである。

 

 En〔主〕が「a」であるのは上記した

 ALHYM〔わたしは有る者〕の

 A が an〔わたし〕の

 合成語の「主語」となっているのに

 同様であるし、

 

 『旧約聖書』において向後

 YHVHはモーセの「十戒」のうちの

 一条「やたらに主の名を呼ぶな」とに従い、

 

 ADNY〔アドナイ:主人〕と呼称される

 実際に照らしてみると、

 やはり

 en〔主・主人〕とするのが妥当である。

 

 さて次の pa は

 「贈る、与える」とも用いられているが、

 

 ここでは「生じさせる」の意義で

 「もたらす」であり、

 

 ba〔草〕その出自が羊飼いたちのイブル人、

 また草の一種「麦」を食糧とする

 イブル人にとっては

 特別の「生き物」「植物」である。

 

 この「草をもたらす」との観念は

 ADNYと共にYHVH名の代わりに

 呼ぶこととなっているHsHM〔ハシェム〕の

 シュメール語解釈に一致する。

 

 同語は pa-sham〔もたらす-草〕で、

 YHVHとHsHMとは同語となる。

 

 つまり、

 baとShMは表音は違えども同じ「草」を表す。

 

 双方と「地上」に

 初めて「生き物」を「生じさせ」た

 神の仕事としての共通意義を持っている。

 

 これらがYHVH名が

 第二章に初めて記載された理由である。

 

 YHVH-ALHYM は「存在〔天地〕」を

 造られた方が、

 地上に「生物〔草〕を生やさせた」となる。

 

 そして、

 「創世記」第三章で

 「主」は「人間」を造られる経緯が語られる。

 


   ≪参考≫「創世記」第二章


1 こうして天と地と、その万象とが完成した。


2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。


3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。


4 これが天地創造の由来である。主なる神が地と天とを造られた時、


5 地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。


6 しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。


7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。


8 主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。


9 また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。


10 また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。


11 その第一の名はピソンといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、


12 その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。


13 第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。


14 第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユフラテである。


15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。


16 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。


17 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。


18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。


19 そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。


20 それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。


21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。


22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。


23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。


24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。


25 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。