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金原政敏

【水間条項TV】フリー動画





『神聖の系譜』

メソポタミア〔シュメール〕

ヘブライ&日本の古代史

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦



第6部 神の箱の日本列島到着後の遍歴


第1章 南九州から太平洋岸を北上した

「十戒石」を乗せた船





(9) 十勝・足寄(陸別)〔北海道〕



下北半島を離れた「神の箱」を


乗せた石船は海を渡って

襟裳岬の東側を陸に沿って北上した。



広尾町では「楽古川」が海に流れ入っている。



楽古「ラッコ」

(Heb.)לֻכה,LVKh,lukh〔板〕


広尾町の北隣は大樹町で

そこに「歴舟川」がある。



「歴舟」の

歴「レキ」

(Heb.)לֻכה,LVKh,lukh,〔板〕

「歴舟」は「(石)の板を乗せた船」

十勝

大津〔豊頃町〕

大「オウ」

(Heb.),AVN,aun,〔石〕

「大津」は「石の寄留した港」


十勝太〔浦幌町、十勝の語源地名〕

十勝太「トカチフト」

(Heb.),TV-KTV-KhTV,yu-kateu-khutu

〔印—文字—刻むこと〕

刻まれた文字の印


十勝:漢字二字の解釈

「十の文字」で「十戒」を表している。



十勝川を内陸へ遡上すると

「帯広」に至る。



帯広「オビヒロ」

(Heb.),AVN-PLAY,aeven-pelioy

〔石-驚異の〕

驚異の石(十戒石)


「神の箱」は

大津で陸揚げされ内陸へ移動した。



その際

ここまで船に乗せられていた

麦を入れた壺をも捨てられてしまった。



それが町の遺跡から出土した。



その遺跡の時期は5世紀と観察されている。



麦の栽培地は

ほとんど日本列島にはそれまでないはずで、

西方の人々が自分の主食に種を捲くべく

長い航海の間保全保存されていたのである。



この地へ上陸を決めると

移動には荷物を多く保持するのは不可能で

身軽にしたのである。



もちろん食物は

他の物の入手が容易とも知ったはずである。


しかし、

十勝平野に入ったものの

ユダ国の人々にとっては

安心して「神の箱」を鎮座させる所が無かった。



そこで移動は内陸奥へと向かった。



そこが帯広の北に当たる足寄郡となる。



足寄郡・陸別。


足寄「アショロ」

(Heb.),ISR,ieserh,〔十戒〕

十戒の「十」


陸別「リクベツ」

(Heb.),LKhVT-HBRYT,lukut-iburiyt

〔板-契約〕

契約の石板


阿寒湖「アカン(ム」

(Heb.),AGM,aagam

〔湖、湖沼、池〕


「神の箱」は

陸別町からさらに常呂郡へと移された。










小嶋秋彦(歴史研究家)原図


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M.K記(責)


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