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『神聖の系譜』

メソポタミア〔シュメール〕

ヘブライ&日本の古代史

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦



第6部 神の箱の日本列島到着後の遍歴

第1章 南九州から太平洋岸を北上した

「十戒石」を乗せた船

(1) 大隅国囎於郡・肝属郡





志布志湾のある志布志町は囎於郡に属す。

 

同名は古代史料にある。

 

「和名抄」大隅国贈於郡

 

「延喜式」神名帳、囎於郡「ソオ」

 

「ソオ」はイブル語 ShAR、Shor の音写で

「残れる者」「残れる民」

との語義で

前第5部第2章で詳しく解説した

バビロン捕囚事件で

翻弄された人々の呼称である。

 

特にここでいうのは

エルサレムからジプチへ

退避したユダ族の21支族を指す。

 

その国名にして半島名でもある

「大隅」は「オホスミ」で

これもイブル語の IVTSMH、Otsemae で

「誉れ」「栄光」の語義で

「創世記」第29章に語られた

ヤコブの子「ユダ」に

誕生挿話に係わる表現である。

 

「大隅」を載せる古代資料他にもある。

 

都萬神社[曽於郡大崎町仮宿]

 

都萬「トマン」 

TMVN、tumu

 [隠れた、隠されている]

 

HTMVN、hitemiyn

 [(隠れた場所に)隠す]

 

この言葉は

「正八幡」の「ハチマン」で

同信仰の大元がこの神社である。

 

大崎「オウザキ」 

AVN-ZUGH、aun-zugh

[石-二つ一組の]

二つ一組の、二枚の「十戒石」を表わす。

 

この語は末吉町の「岩崎」名となっている。

 

「仮宿」二枚の「十戒石」が

ここに仮泊されていたとの表明

 

「日本書紀」天武天皇11年(682年)7月3日

大隅隼人に

 

「続日本紀」和銅6年(713年)4月3日

日向国の

肝圷、贈於、大隅、姶羅の

4郡を割き初めて大隅国置かれる。

 

次に「肝属」について纏めてみる。

 

「続日本紀」

文武天皇4年(700年)6月3日 肝衝

肝圷、肝衝「キモツキ」

KMR-TSVK、Kamror

〔祭司-岩〕

岩の祭司

 

「和名抄」大隅国肝属郡(東急本)

岐毛豆岐<キモヅキ>

肝衝「キモヅキ」

KMR-ZUG、kamor-zug

〔祭司-二つ一組のもの〕

二枚の石板の祭司

 

肝属郡地域には

ユダ族に同伴し渡来した

エルサレムの神殿の奉祭を

職掌としていた

レビ族にして

モーセの兄を初めの祖とする

大祭司アロン家の係累の人々が

幕屋(天幕)守るため

生活の基盤を置いた所とすることができる。

 

串良〔町名〕「クシラ」



 



KTSYR、kotsiyr

〔(穀物の)借入れ、収穫〕

KTSR、kotsar

〔作物を刈り取る、収穫する〕



『古代日本へ渡来した人々の系譜』


 




小嶋秋彦(歴史研究家)原図


https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-03-14-4


 


M.K記(責)


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