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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年



《第十六章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・月氏とシルクロード:八潮市立資料館・藤波邸の「牛角兜」

 

 「庵治」名については

 第4章 

 カルト人の移動 「ゲルマン」で

 

 『史記』に記載されている中央アジアの

 「西北二千里」に居住しているとされる

 「庵蔡(アラン)」との関係を言及しておいたが、

 その同種族名である。

 

 彼らはゲルマンである。

 

 ドイツに入った彼らは

 Essenという鉄の都市を築いている。

 

 この庵蔡の一部は中央アジアを南下する。

 

 インドのサンスクリットの資料に

   śaka 族と表記され、

 漢(唐)音で「塞」と

 表記されている人々である。

 

 南下したかれらは、

  まずペルシャ湾の地に定着し、

 そこをサカスターナ(Sacastana)と言ったが、

 さらに南下し、

 紀元前2世紀にはインダス河河口から、

 アヴァンティ、サンチーまでの広い地域に

 漢名塞王朝を形成した。

 

 その名称 

   Sacae は

 ペルシャ語では

   Shākh で「角」を意味する。

 

 「ゲルマン」はシュメル語の 

   galm-am(階段-野牛)に起源があり、

 「牛角」の意味との見解を述べたが、

 ペルシャでは、彼等を

 「角族(shakh・角-e・人、族)」

  と称したのである。

 

 この塞王朝には

 アレキサンダー大王に率いられて東征した

 ギリシャ人の築いた

  バクトリア国の末裔も含まれ、

 そこで主に使用された言語は

 ギリシャ語であったらしい、

 彼らは

 共に大月氏のクシャン王朝に

 圧迫され続けたのであるが、

  インド亜大陸に

 グプタ王朝が強力になるにつれ、

 滅亡していった。

 

 圧迫された塞族の一部は細長い船、

 つまり軍船によって航海に出、

 東アジアヘやって来たとみられる。

 

 沖縄の古名は「阿児奈波」であるが、

 これがギリシャ語の

  αγο-ναν(軍船)の音写である。

 

 「オキナワ」も

  ωγν-ναν(早い船)で軍船を表わす。

 

 石垣島に平得(ひらえ)という地区がある。

 

 ギリシャ語の

   Ηεραιτος の転訛で

 鍛治神の名である。

 

 ここでインドネシアのセレベス島や

 フィリピンのミンダナオ島から持って来た

 赤目(褐鉄鉱)、

 黒目(磁鉄鉱)を用いて

 鉄製武器を鍛えたのである。

 

 琉球も沖縄の古名であるが、

 これもギリシャ語の

  λενκς(白い、明るい、輝く)に依る

  名称である。

 

 ラテン語の iucus、lux、

 英語の light と同根語である。

 沖縄本島初め、勢理客(セリカ)など

 絹に係わる地名が散在することを

 第10章 天毒とセリカの

  「セリカ名の由来と遺称」

 で述べたが、ここに

 ギリシャ語で「白い」と言われる

  土地があってもおかしくない。