『歴史徒然』History Tsuredure https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara

『歴史創世』Rekishi Sousei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/

『歴史徒然』Rekishi Tsuredure http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/

『歴史再考』Rekishi Saikou https://momo-momo-matmkanehara-momo.blogspot.com/





『猶本光サポーターズサイト』http://hikaru-naomoto.net/

『浦和レッズレディース』http://www.urawa-reds.co.jp/ladies/


『日本創世紀』の目次へ戻るhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-12-1 

「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4





(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪

 

 日本創世紀

 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 


《第5章 養蚕と絹》

ー紀元前後西方と極東の貿易ー




 (2)唐時代の「彌羅国の金蠶」

 

 時代は大分後の唐代のことではあるが、

 「社陽雑編巻上」作者:蘇鶚 唐

 唐の時代の記述に次のようにある。

 

 永泰元年東海彌羅國所貢。

 云其國有桑、枝幹盤屈、覆地而生、

 大者連延十數頃、小者蔭百畝。

 其上有蠶、可長四寸、其色金、其絲碧、亦謂之金蠶絲。

 ...

 

 永泰元年は8世紀の後半765年である。

 

 「東海」は唐国からみて東シナ海から太平洋を指す。

 

 「彌羅国」を考察すると、

 2~4世紀頃の邪馬台国を想定した呼称で、

 一般的に北九州を示していよう。

 

 「彌羅」は「ミラ」で

 サンスクリット語の meru の音写にして、

 あの「スメル山〔仏教の須弥山〕」名である。

 

 同記録は次いで

 「その国に桑があって枝や幹は天に『盤屈覆地』」

 とある。

 

 それに続く記述は

 その「桑樹」の大きいもの、小さいものの規模で、

 その「高大さ」を表現している。

 

 つまり、「桑樹」は jambu 樹の説明である。

 

 続く記述は「其上有蠶、可長四寸」とある。

 

 その桑樹には「蠶」がいて、その身長は4寸と説く。

 

 つまり「養蚕」あるいは

 「野蚕」の「絹虫」がいたというのである。

 

 そしてその虫〔おかいこ〕の色が

 「金」だといっている〔其色金〕。

 

 さらに「其絲碧、亦謂之金蠶絲」とある。

 

 「絲」とは「帛」つまり「絹糸」のことで、

 その金蠶が出す「絹糸は碧色」で、

 これを「金蠶絲」というとある。

 

 「碧」は本来「青」であるが、

 ここで推測されるのは「青紫色」であろう。

 

 その背景も倭錦と係わるので後述する。

 ともかく「彌羅國」は

 邪馬台国由縁の「スメル」の地方から「絹」を

 貢物として贈った〔所貢〕と記しているのである。

 

 その絲:絹は極めて特徴のあるものだったのである。

 


 M.K記